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プロフィール
走るキンサク
走るキンサク
 氏名    橋    金作
        走 る キンサク(75歳)

●主な役職
株式会社エコニクス創業相談役
㈱沿海調査エンジニヤリング相談役、 
(財)電気保安協会 理事、
(元)北海道経済連合会常任理事
●趣味スポーツ歴
・日本海沿岸走5800㌔走破
 北海道沿岸道3000㌔走破、
 青森竜飛岬から青森・秋田・山形・新潟・富山・石川・福井・京都・兵庫・鳥取・島根・山 口・福岡・佐賀・長崎県野母崎の日本海沿岸2800㌔走破、九州最南端佐多岬ヘ、青森大間崎から太平洋沿岸久慈海女ちゃん小袖浜へ更に陸奥海岸復興視察ランで女川へ
・サロマ100㌔ウルトラマラソン4回完走、
・札幌スキーマラソン50キロ15回完走、
・オホーック85㌔スキーマラソン11回完走、
・ヒマラヤ カラパタール5545m、ゴーキョピーク5357m登頂。
・エベレストBCへ2度(チベット側チョロランマ、ネパール側サガールマーター)
・国際潜水教師協会理事(NAUI)元インストラクターDr、
・他に北海道、東京、ホノルル、洞爺、千歳、網走等のフル、利尻一周55㌔マラソン等など完走、自転車、水泳、カヌーなど
平成 2017年 3月 現在
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2008年01月06日

西遊記無事帰国9/

●9/29カトマンズの別れ
いよいよ帰国、当初は30日夜ネパールを発つ予定であったが、ロヤールネパール航空に機材が故障で欠航がとなり、急遽香港で一泊して10/1夜に関西空港、そしてそこで息子は東京へ私は更に関空で一泊して札幌へ帰ることとなり、今日は香港へ、香港は10年ぶりであったがその発展した変貌には驚きました、飛行場は、以前は街の中にあり高層ビルの上を霞めるように着陸する世界で有数な危険な空港と言われていたが、新空港は都心から離れ海上にあり、都心と結ぶエアポート列車は新幹線なみの綺麗な車内に整備されており羽田、成田を越える国際空港に一新していた。九龍の町並みも昔の面影は無く国際都市と発展し新宿と変わらない。二人で回転寿司に入る、壁一面にコーラルフイッシュの水槽がある、ネタもホタテも、ウニも、イカも、北海道の魚は殆どある、しかしワサビ抜きワサビはオプシュン。素晴らしく綺麗で素敵な店内装飾には驚きである、値段は北海道と変わらない。今まであまり美味い者を食べていないので昼は寿司、夜は本場の中華料理で贅沢をする、矢張り我々は街の人であり都会が落ち着きます、しかしホテルは国際料金です。
●9/30香港から関西へ、
夜9時過ぎ着、息子はどうしても今夜中に東京へ帰らなければならない、最終便が間に合うか心配である、預けた荷物が出てこない、息子1人だけ先に行かせる、遅れて出てきた二人分の荷物を持ち帰国手続きをする、税関が多くの荷物を持っているので不信に思い、いろいろ質問をする、事情を話して納得してもらい息子が待つJAL国内線のカウンターへ向かう、息子は最終便に間に合いここで別れる。私の関空から札幌への便は既に出発しており明日の便へ変更を、それが格安チケットの手配なので変更ができない、キャンセルして新に航空券を購入しかないとの事、カトマンズでラムさんの旅行社からネパール航空会社のトラブルで運休になり遅れた事の証明書を持たされていたのでそれを見せると変更OKであった、更にホテルの手配もしてくれ中々親切であした、日本航空有り難う。しかし関空のホテルは高かった。ホテルへチックインし1人でゆっくりビールを飲む、、11時を過ぎていた、、、明日は札幌へ。これで無事全ての旅は終わり。
息子と二人の秘境の旅はこれが最後であろう、、、いろいろな事があり良い思い出が出来たが、親子お互いの理解が深まった事が最大の収穫であった、今度は孫を連れてハワイ旅行か、、、何時の事やら解らない。
●旅のまとめ感想
1.チベット文化圏
ヒマラヤ南北分水嶺の水資源はチベットからインドへ入りガンジス川となり、ガンジス川の流圏ネパール、チベット、インド北部がチベット文化圏であり宗教圏であり中国がチベットの独立を懸念し、様々な抑圧規制で北京政府漢民族の同化を進めチベット文化の排除を進められそれに抵抗する民族文化との軋轢が随所に見られた。
2.中国水資源、
チベット自治区は中国の州の中で2番目に広い面積(チベット文化圏は青海省も含めると最も広いが分断されている)その中にヒマラヤ等多くの山脈があり其処からの流入による大きな湖(琵琶湖より大きい)が多くあり水は豊富であるが、その多くはガンジス川、メコン川の水源でありインド、バングラデシュ、インドシナ半島の各国へ重要な資源となっており中国の水不足地域の北東部へ注がれていない、そこで中国政府は南の水を北へと大規模な運河開発を進め黄河の水不足の解消を進めている。今後これらの問題から水をめぐる争奪戦が展開されることが予想される、(現在インド、ベトナムと中国ではこれら流域圏を巡る紛争問題がある)ミネラル水は北京で1.5L(70円)ぐらいであり都会もチベット奥地も価格は変わらない。
3.50年を5年で進む中国チベット
チベット奥地においても情報化は凄まじい勢いで進んでおり、日本と同じく若者を中心に携帯電話は常識となっている、(パネルタッチでボタン式ではない最新式)、情報、車社会が
一気にここ5年ほどで進み、50年前の私の子供の頃と現代経済社会が同時に存在する複雑な驚きの金権文明社会である。

●他色々な感想がありますが、このこの辺で走る金作西遊記を〆させていただきます。
今年2008年5月にネパール側エベレスト(サガルマーター)ゴーキョピーク(5300m)を訪ね、15年前に訪れたヒマラヤ氷河の視察に行きます。またそのブログ「走る金作山を登る」をお楽しみにしてください。

  

Posted by 走るキンサク at 15:46Comments(0)走る金作チベツトを行く西遊記

2007年12月21日

9/27.28カトマンズ市内散策

●9/27.28カトマンズ
今日朝曇り、今日も王宮の周り一周3㌔を3周走る、昨日の物乞いは居なかった矢張り雨降りの方が哀れみを誘い貰いが多いので今日は日が悪く休業か?、そしてタメルバザールを散策欧米人が多く居るガーデニング風の大きなカフエに入りコーヒーを飲み一休み、複雑な小道が多く迷いそうであるが散策する、ホテルへ帰るには何処へと迷う、何となく感を働かせ歩く、不気味な道を曲がり、曲がりようやく大きな道路へ出てきた、適当に歩き何となく王宮の方角が解り戻ることが出来た。これから息子とカトマンズ市内の名所見学へ出かける、街のいたるところに寺院がありまるで京都のようであるが、ヒンズ経、チベット仏教が混在し人々の日常生活と一体となり溶け込んでいる、お寺の側に老人ホームがありそこに聖なる川が流れその淵に火葬場がある、更に聖なる山があり猿が多く生息している、そこに猿に化身したお化粧の老人集団が生活している、彼らは人間社会から逃れ猿の王様と自負している、「人間社会の落ちこぼれも、今日は猿社会の王様」これも良いかも、、、
今日夜は友人のラムさんから夕食の招待を受け訪問、郊外の高級住宅街にあるがそこまでの道は細く、泥道の昔のままである、しかし自宅は塀に囲まれ、1階は事務所、その上2.3階が自宅の白塗りの立派な自宅である、それよりも驚いたのは奥さんの美人な事、家族は息子さんが二人の4人家族である、奥さんも日本に何度か来ていて日本語も話せる、ビールをご馳走になり色々な話で弾む、来年5月にゴーキョピーク(5500m)へのトレッキングへのサポートなどお願いしてホテルへ戻る。息子は夜出かけ一人でゆっくり物思いにふけてホテルのバーでビールを飲み直す、お客は私1人である、日本の歌謡曲が流れてきた、それも懐かしのメロデーである、異国で聞く郷愁が湧きだし更に物思いにふけ涙が出そうになる、、、明日早く香港へ発つ早く寝よう。
  

Posted by 走るキンサク at 14:08Comments(0)走る金作チベツトを行く西遊記

2007年12月21日

ネパールカトマンズでの走り9/26

9/26ネパールカトマンズ(1350m)
小雨の朝、カトマンズの街のど真ん中にある王宮の周り3キロを走りにホテルをでる、勤め、学校などへ向かう人々で街の中は混雑しており道路を横断することができない、カトマンズの人々はその中を泳ぐように渡るが私には恐ろしくてできない、信号はあるが誰もお構いなく無視している、こちらの人の後に付いてようやく王宮へたどり着く。売っている土産も、依然はヤクの毛のセーター(殆どが偽物)が多かったが今はカシミヤのチーフ(これも偽?)などが中心であるしかし安い、値切り倒す図々しさが必要である、紳士淑女の日本人は遠慮してしまう様で良いお客さんです、言い値の半分は高すぎ、1/3,1/5が常識の値切りです。纏めて買うと10/1も有り得る。兎に角インド人もビックリするぐらい値切り倒すことです。夕方カトマンズ郊外の屋敷の中にあるアーユルベーダーへ行く、有名なサロンで近所のホテルへ滞在して一ヶ月通うコースもあり有名である、しかし男性のオイルマッサージで私の好みではない、チベットラサの女性の方が良かった。今日の夕食は久しぶり息子と日本料理、昔来た事のある居酒屋古都を探す、潰れないでその場所にあった、美味い、矢張り日本人である事を実感した。
  

Posted by 走るキンサク at 10:13Comments(0)走る金作チベツトを行く西遊記

2007年12月13日

チベットザンムから国境を越えネパールへ

中国チベットザンム出国、ネパールコダリへ9/25
出入国ゲート事務所はホテルから直ぐ側にある、しかし付近は出国の人々で溢れている、11時に国境で落ち合う約束であるが相当時間がかかると考え9時にホテルを出る、個人で陸路からの国境越えは始めてで心配である、手続きなどのインフォメーションは無い、出国カードはホテルでもらったがその他の税関、検疫など申告書が何処にあるのか解らない、迷っていたら中国人女性が書類を持ってきてくれた、親切にと、謝,謝とお礼を述べるとユンギ橋まで歩くか、タクシーかと聞かれる、タクシーの運転手で客引きでした。ここからおよそ8㌔曲がりくねった泥道を600m下がるが地元の人々はショートカットで直線に下り25分で歩けると聞いていたが荷物も有り山道は危ないのでタクシーにする事にした、一人15元(230円)事務所の出口で待っていると言って、また客引きに行った、出入国事務所を自由に出入りできる客引き女性ドライバーがいるとは驚きました、しかし申告書類は中国語であり解らない、適当に記入し窓口で直す事にして事務所の外で並ぶ、多くの人で混んでおり1時間はかかりそうである、雨が降ってきた濡れても列から離れるわけにはいかない、徐々に前に進み事務所に入る、一人一人審査官の前に進みチェツク、書類に問題があり書き直しを言われるだろうと恐る恐るだす、、、しかし何も言われなくパス、外に出ると女性ドライバーが待っておりそれに着いて行く、ボロボロのワゴン軽自動車が待っていた、お客6人と大きな荷物を積み込み泥道のくねったカーブを下る、恐ろしい、5.6㌔下るとトラックが道沿いに並んでおり道を更に狭めている、その先を行くと渋滞で車を進めることができない、方向転換が出来そうな所で停車しここで降りろと女性ドライバーが言う、橋までの料金を取りながら、ここから引き返し客を乗せてくるので付き合っていては商売にならないとの考えである、またもや女性に誤魔化された。ここで降り荷物を背負い国境へ数キロ歩く、国境の友誼橋が見えてきた、国境の橋の手前の中国側は大変な賑いである、国境を渡る、すると橋の上でドライバーが名前入りのプラカードをもって出迎えてくれた、ネパールへの入国手続きをするビザ申請で心配していたがこれで安心、早速、事務所へ行きビザ申請をしてネパールへ入国、国境を越えネパールのコダリへ入る。ザンムと比べ周りの貧粗なのには驚いた、中国とネパールの経済格差の現れである。商店はバラック建てであり車も少なくザンムの町と大違いで賑やかさも無く真さに貧村である。
しかし回りは緑が多く空気も人々も何か優しく感じ中国チベットより落ち着きがあり安堵できる。国道は古くから整備されており渓谷は依然として厳しく切り立っているがネパールがチベットとの交流を大切にしてきた歴史を感じる。
ガイドが連絡していた約束の11時はネパール時間では9時でありどちらの時刻か解らずカトマンズを朝早く出てきて中国時間(北京)だろうと待っていたとのこと、2時間の時差を忘れていた事に気付き謝る、橋を越えたら2時間の時差とは驚きである、ここ国境では時刻が二つ有る。ここからカトマンズまで150㌔、整備されていると言えども簡易な舗装であり途中でぬかり道を乗り越えながらジープで走る、普通の四輪車は無理である。数百mはある渓谷に世界最大のバンジージャンプがある、とても恐ろしく見ないで過ぎる。突然前面に車止が現れトラックが止まり言い合っている、何やら通行料をここの部落で取っているらしい、、、寄付を要請し通行料ではないと言っているが寄付しないと部落の人々は車止を避けてくれない。これも驚きであるが結局ドライバーは払い通過、
中国に来てから約二週間豊かな緑を見てなかった、ここネパールは緑が豊富であり叉段々畑が山の上から下へと緑の階段で数百m続く、緑の優しさを感じ心が和む。こんな長閑な田園風景を走り都市に近づくにつれ騒然としてきた、自転車、バイク、車、その間を人々が行き交う、突然前の道路脇を走っていた自転車がトラック後輪に巻き込まれ奴腹を轢かれ血が飛び出す、それを無視して走り去るトラック、私のジープが後を追いかけトラック運転手に「人を引いたと」怒鳴りようやくトラックが止まる、こちらはそのまま何もなかった様に走る、どうもこれが日常の様である、どれほど多くの交通事故があるのだろうか、勿論、救急車もパトカーのサイレンも聴く事は無かった、兎に角、社会整備はされず昔のままの都市に人々が集中し車社会が襲いかかる人と車の戦争である。
カトマンズに到着し友人の会社を訪問し明日からの予定の打ち合わせを済ませホテルへ、王宮通りの近くのホテルへ向かう、ツインで2000ルピー(4000円)ようやくホテルらしいホテルへ到着、今夜はゆっくり風呂に入りビールを飲み寝よう。
  

Posted by 走るキンサク at 17:29Comments(0)走る金作チベツトを行く西遊記

2007年12月08日

2540m高地ザンムを走る9/24

●9/24朝から雨、ここザンムはヒマラヤ山脈の南側に位置しインド洋からの湿った空気が山にあたり雨が多い、街は山肌にえばり付く様にあり、坂道ばかりで雨水が道路を流れ小川のようになりゴミも一緒に谷底へと流す水洗道である。朝食はホテルのレストランでする事にしてお粥と饅頭を食べる、見知らぬ男が近づいてきた、、、元とルピ(ネパール)との交換をとの闇の両替商である、偽札を掴まされる事があるので相手にしないで断る、しかしここはこの町一番の国際ホテルである、闇屋が堂々とレストランに入り込み商売をさせるとは驚き、昨夜も街の中で何人にも声を掛けられた、、、不気味な国境の町である。
このホテルには今日は泊まれないので10時までにどこか探さなければと息子は出かけた、暫くして戻りこの向いのホテルが空いているとのことで其処へ移動する、安宿のようであるが我慢しよう、部屋のカギも危ないので貴重品は全て身体に身に付けなければならない、勿論セフテーBOXは無い、雨も止み始めたので街の探索に出かける、両替闇屋が私の顔を見るとうるさく付きまとう、、、日本人のオジサンはお金を持っていると見えるのだろう、取り合わず作動する、振り切る、カメラの乾電池を買いに店に入る中国製のアルカリ電池を買う、電池交換するがカメラが動かない、、、日本を出る前にメーカーで修理してきたばかりなのにどうなっているのか、、、日本から持ち込んだ古い電池があり交換してみたら何作動する!買ったばかりの電池は電圧が低く動かないとは、、、、返品に行き交渉するがパッケージーを開けたものは受け取れないと取り合ってくれない、仕方が無いと他の店へカメラを持って行き電池をその場で電圧をチックしてドイツ製の電池を買う、テンリー町で電池を買ったが半日で駄目だった、古い電池は電圧が低下する中国製はこのレベルである事が解った、日本でも40年前は古くなった電池は放電して同じであった事を思い出す、電池は日本から全て持っていくべきであった。
午後ショートタイツと半袖でランニングへ出かける、ここ2750mの高地での走りは如何だろう、それも坂道である、恐る恐るゆっくりと坂道を登り走る、凄い2000m以上高度が下がり酸素圧が高くなり、これほど楽に平坦と変わらなく走れるとは、帰国後の札幌マラソンが楽しみである。市街は中国ゲートから約2キロ上までの其処を往復する、商店が並んでおり店の人々がこちらを見ている、、こんな坂道を行ったり来たり4回も走る変な人と見えるらしい、、両替闇屋も寄り付かない、しかし野良犬がうろうろしている、気を付けながら走る、子供の頃走っていて噛まれた事を思い出す、尚更恐ろしく感じる、折り返して7㌔程で犬同士が道の真中で噛みあいの喧嘩をしている、とても其処を走る勇気は無くそろりそろりと歩きホテルへ戻る。この町はチベットで有るがチベット人は見当たらない、どうも漢族を移住させて国境の安定化を計っている様に思える。
夕食は中国チベット最後の夜であるから中国元を残さないようにご馳走を食べ使い切る事にして、高級そうな火鍋(シャブシャブ)レストランの個室でチベット式シャブシャブを食べる事にする、メニューを見ても良く解らないので高そうなセットを頼んだ、色々な肉,魚、野菜、タレ、湯のみ茶碗の様な物に入れてドブロクのような飲物が出てきた、食べながらこれを飲むのだろうと飲む、矢張りドブロクのようである、ビールを飲みながらシャブシャブする鍋は辛いとソフトなものに二つに仕切られぐらぐらと煮えあがり、それに肉を入れシャブシャブするが直ぐに煮えなく身が赤い、、、、、ぐらぐら煮えたぎっているが、、変だ!考えてみるとここは2750m気圧が低く100度にならないのである、色々入れて煮付けるようにして食べる、示唆しぶりのビールとご馳走である、しかし何か目眩がしてきた、、、出てきたドブロクが効いてきたようだと女給さんに聞いてみたらそれを飲んだのですかと驚きの顔、それは肉などを付けて更にタレをつけ食べるのですとアドバイス、それを飲んでしまったとは、、、、息子は更に高そうな肉を注文する、ウチの息子は子供の頃から値段を見て高そうな物を注文する癖があるが23歳になっても直らない。結局食べ残してしまった、、、500元(7500円)払い店を出る、ここチベットでは高級料亭レベルである。国境の町は夜、デイスコクラブなど飲み屋もあり賑やかであるホテルの近くのバーに入る、多くの外人が飲んでいる、しかし中高年者のオバサン、オジサンばかりである、息子は若い人を当てにしていたが残念、クラブでもと考えたが、懐に多くのお金を入れているので危ない、今夜は大人しく寝よう。しかし深夜まで派手な音楽がクラブで鳴り響き呼び込みをしている様に部屋まで聞こえてくる、その誘いには乗らない。明日はチベットからの出国とネパールへの入国でビザ申請やら手続きで朝から忙しい。ネパールへ明日の車の出迎えを電話で確認をする、午前11時国境の橋で名前プラカードを持って運転手が待っているとのことこれで安心。  

Posted by 走るキンサク at 16:52Comments(1)走る金作チベツトを行く西遊記

2007年12月01日

チョロランマの夜明けとヒマラヤ越え9/23

●9/23チョロランマBCの朝、そしてヒマラヤ越え
未明、懐中電灯を頭に付けて小便に起きる、外へ出るのにテントのドアを開けようとするが空かない、厳重にカギを掛けている、誰かを呼び起こさなければ、、、どうしようと迷う、息子も起きてきた、先ほども起きたが外へ出れなくて我慢して戻り寝たが限界と堪えている、何とか開ける方法は無いかと調べる、紐のような物で難しく縛ってる、どうもチベット式縛りである、懐中電灯で照らしながら落ち着いて、絡んだ紐を解くように、、、辛抱強く、ようやく解けた、外へ出る、地面は凍り、寒い、誰も居ないテント前の道路で放水、我慢していた開放感と満天の星空を眺めながら寒さも忘れ思い切り!感動!・・・・、寝床へ戻り再度眠る、、、朝5時、何時ものように目を覚ます、真っ暗である、ヘットランプを付けてトイレへ向かう、隣の女子トイレが明るい、数人の女性が集団で用を足しているようであり、幾ら隣と言えどもブルーシート一枚の囲いでは近寄れない、痴漢に間違えられてはと心配になり外で待つ寒い、朝は大で有る、氷河の川風が尻を撫でさぞ冷たいだろうと覚悟を決める、恐る恐る足元を照らしながらトイレへ、昼間下見をしてあるが揺れる、ここで便壷へ落ちたらこの高地では酸素不足で這い上がれないだろうと慎重に跨ぐ、捉まる所は無い揺れる、無事用を足して戻るが暗くテントが皆同じように見え自分達のが解らない、来る時に確かめておけば良かったのにと反省、目星を付けてドアを開けるOK、間違いなかった。夜明けを待ちながらヘットランプで日記を書こうとするがこの高地では酸素不足から思考力が落ち文章にならない、漢字が思い出せない、取り留めない事を数行書く(この日記は高度を下げたザンムで書いた)、そろそろエベレストの夜明けだろうと外へ出る、、山に囲まれた川沿いにあるBCは西側で東の朝日の影となりまだ暗い、黒い小さな山が見える、チョロランマは何処、暗くて解らない、またテントへ戻る、朝日に照らされたチョロランマがもう見えるだろうと また7時に外へでる、まだ薄暗く期待したような光景は見られない、小さい黒い山は実はチョロランマであった、矢張り世界の最高峰もライトアップされないと小さく見える、、、何でも脚光を浴びないと駄目である。日が昇るに連れて朝の澄み切った緊張した青空の中、最高峰は雄大な姿で迫って私を見下ろす、、崇める。
今日は来た道を戻りネパールへの唯一のアクセス国道をヤルツアンポ川沿いに走りオールドテンリーの村で昼食、更に登りヒマラヤ山脈のラルン峠を越えてニャラムの町へ下がる行程である。朝食後BCを跡にして昨日来た道をロンボク寺へ戻る、日が登りここから見るチョロランマは絶景である、車から降り丘に登りしばし眺める。
近々ホテルができる様で建設をしている、聞くところによると日本円で1万円以上とのことである、、、昨日来た道を戻るが途中で車が止まる、昨夜からドライバーが何やら車の下に潜り修理している様であったがこれからのパン峠越えの再度の修理である、どうもブレーキオイルパイプが破損して漏れているようである、パイプを捻じ曲げ折りたたみ潰して漏れを止めてオイルを補充して応急処置を済ませる、ブレーキオイルパイプは2系統であるのだろうか下りが心配、平坦な道路でブレーキを確認して峠越えと向かう、ジープはうねりを上げて昇り越え慎重に下る、恐ろしい、後進地域のドライバーは応急措置の技術を備えていなければ勤まらない、40数年前、私も夕張峠で故障して変速機のレバーを針金で縛り車を運転した事を思い出す。国道へ出て60㌔はしりオルドテンリーの町へ昼過ぎ到着、ニューテンリーより小さくレストランが数件の小さな町である、レストランへ入り昼食、窓越しに子供達がこちらを眺めている、小遣いをくれそうな鴨を物色している、、、腹ごしらえをして外へ出る早速、片手にはミネラルウオーターボトルを持ちお菓子を食べながらマネー、マネーと迫るが相手にしない、ここも同じく道路は野良犬がたむろしゴミが散乱している、この町から遠くにチョモランマなどヒマラヤの山々が見えることで滞在者も多い。
ここから茶色の荒涼とした原野の中、平坦なジャリ道を川沿いに猛スピードで土埃を巻き上げながら走る、前の車が舞い上げた土埃で前方が霞んでいる、窓を締め切る、茶色一色の世界、、時折対向車があり更に霞む、息子が凄いと驚く
40数年前の私が息子と同じ頃、北海道の国道はこれが普通であったと話す、今の北海道の姿からは想像も出来ないだろう、、、100㌔以上は走りヒマラヤ山脈北側の水を集めガンジス川へと注ぐヤルポアン川も小さな小川となり水源に近い事を解る、遂に川が無くなり長い丘陵を車は登る、遠くにヒヒヤパンマ8012mが見えるラルン峠である。ヒマラヤ峠は赤茶けて長い登りの丘越えであり、想像していた曲がりくねる断崖の道とは大違いである。ここからニャラムまでおよそ3.40㌔で1500mの下りである、丘陵の原野の急なオフロードをそれぞれのドライバの道があるらしくあちこちに車の後がある、峠で一緒になった他のドライバーとラリーである。凄い急な下りを一気に走るドライバーもいるが我々のドライバーはブレキーの事が気になるのか迂回する。数百mほど下り始めると周辺が黒い岩盤に変わってきた、ユーラシアプレートとインドプレートが衝突してヒマラヤ山脈が形成されたことが解るほどはっきりしている、周辺は岩盤の切り立った断崖となり茶色から黒へと変わってきた、道路工事が行われており日本の重機が働いている、その間を縫うように止まっては走る勿論ガードレーもなく恐ろしい、降りてくるにつれて道は険しく落石が道の両サイドに詰まれ狭い、こんな道を数十㌔走りニャラムの町へこの町は行政区でありまた道路工事の関係者の宿泊で賑わいがある、国境に近いことから公安の車が目立つ、今日はこの町で泊まることで有ったが、ザンムまで後16㌔と聞い、ザンムでネパールとの連絡や出国に余裕を持とうと考え向かう事にする、ドライバーが車の修理屋からオイルのパイプを持ってきたこれでラサまでは交換して安心して帰れると喜んでいる、それと彼らの思惑どうり一日行程がつまり早く帰れる事も、、、、含め。
この町を出て道は更に険しく本当に想像を絶する道で驚く、数百m(300mから500m)の断崖を削ったオバーハングの道、落石は普通であり当たればご不幸そのもの、、、その中で工事も行われている、ザンムまではトラックなど大型車は夜間工事終了後ので曜日交互通行、我々は観光ジープは(一般普通車では通行不可)特別に昼間時間帯で一方通行で通している。僅かな道程であるが狭い断崖の道を気を付けながら慎重に走る歩きである)周りは下がるに連れ山肌は緑になり数百mからの断崖からの白い滝見事絶景である、しかし上からの落石と断崖への車ごと落下するのではと心配で、見とれる余裕は無い、暗くなって国境の町ザンムへ(2350m)到着、ここ街は急な断崖にうねるように道が2キロほどの坂道の両側にホテル、商店などが軒を連らねた小さな町であるが人と車で賑やかである、町の手前の狭い道に3.40台は有ろう大型のトラックが夜間の通行を待ち並んでいる。早速ホテルを探す、この町一番のホテルへ多くの外国人で混雑しているが今夜は部屋を確保する事が出来たが明日は断られる、、、明日他を探そう、ここはツインで400元(6000円)であるがシャワーもお湯が出る、トイレも綺麗で水も出る、普通のホテルである、ようやく落ち着く事が出来た、近くレストランで食事をするが食べれる、ビールも、ここまで下がれば全てが美味い久しぶりの満喫感、、、、ビールも飲んだしほろ酔いで眠る。  

Posted by 走るキンサク at 17:10Comments(0)走る金作チベツトを行く西遊記

2007年11月25日

9/22チョロランマ8848mBCへ

●9/22テンリーからチョロランマBCへ
脈拍59、ここ4200mでの高地での順応はOKで息苦しさ頭痛も立眩みもない。
ここ数日は日記を書くのが億劫になり思考力が低下しているのを感じていたが今日は朝早くから書くことができる。ほぼ完全に高地に慣れてきたのがわかり安心、いよいよ今日BC5200mへ行き宿泊するのが楽しみである。今回の旅の最大の目的はチョロランマBCでヒマラヤ氷河の現状観察であるが、もうひとつは息子の人生教育「真の自分とは?、人生とは?」を語り合い考えさせる機会と時間をつくることであり、不肖の孫悟空へ旅を通して生き方を教える三蔵法師、走る金作である・・・・これに適した最高の場、チモランマ眼下で「心も肉体も自分自身ではない、自分と思っている心は、思い考え運動機能であり肉体を感じるところである。心の思考機能、と肉体の運動機能を意識しコントロールする不屈の力を備えた己、魂が真の自分である。」これを語り人生観を確立してやろうと今朝暗いうちから思案する、これもチベット仏教の影響か、、、、
空はあくまでも青く、山肌は赤茶、青と赤茶の見事なコントラスの荒野をテンリーからネパールへの国道を5kmほど走りチョモランマへの道を左折、少し行くと中国軍の厳重なゲート、全員降り事務所へ、一人ずつパスポート、許可書のチエック、車の窓ガラスがきれいでなければ通過させてくれないのでドライバーは真剣に窓をふく(国境警備兵が遠くからでも車内が見えるよう)車のチエックもOKで通過許可がでる、ここから最後の峠をめざす、小さな部落のゲートが更に有り、ここでチョモランマへ入るチケットを出し通過、車は土埃を舞いあげ唸るように峠へのスネークロードを曲がり続けながら登る、勿論砂利道であり算盤の上を走っているような懐かしい道である、これでも最近整備された道のようですぐ脇に昔の道があり更に厳しい悪路で有った事を想像させられ文句は言わないで感謝する、さすがに日本のトヨタランドクルーザー4500ccである、振り返ると遠くに青空の荒野に来た道をなぞるように土埃の茶色の一筆書きの龍が描かれていた。赤茶けた峠が地近づいてきたしかし更に上に道がある、マラソンで峠を越える時もあの上りの先に、いやあのカーブの先にと思い走っていたことを思い出す、峠からのチョロランマの雄峰はどんな姿だろうと焦る、ジープは唸る、峠の頂上へ登り切る車の鼓動が伝わる、前方一面が一瞬、青い空に変わる、登り切った、全面中央にチョモランマ、右にチョオユー、シシヤパンマ、左にマカール、ローツエ世界8000mの雄峰13座の5座が微笑んでいる、車から降りて歩きたいが急には動けない、少し馴らして周辺を散策、兎に角5000mではゆっくり、、、ゆっくりが肝心。しばし山々を呆然として眺めていたら息子が時間だと知らせに来た、、、ドライバーが急かせているようだ。ここから一機に峠のスネークロードを下り数件の食堂があるタジソン部落へ、丁度ここ辺りが昼ごろになりこの先には食事ができる所はないのでで昼食をとる、バター茶を飲み高地に備える、暖かい事を期待して麺類を注文する、矢張り温い、トイレへを探すが見当たらない、案内されたところに梯子がありそれを登る、屋上に小屋があり中へ穴が2箇所あり側に土が盛られている、用を足し備え付けのスコップで土を被せる、確かに臭くない土の消臭力は凄い、勿論この屋上には水は無い。
この部落は数件の食堂がある小さい部落であるが、携帯電話(中国)は通じ多くの人が利用している、ガイドがこの食堂に電話を忘れ蒼くなって引き返した、しかし無事有ったので皆で安堵した。
生活用品を満載にした大型トラックが止まっている、この峠を越えて来たと思うと恐ろしさを感じる、ここから先は我々の行くBCでありこんなに多くの物は必要としないはずである、しかしここから別れネパールナムチエ村(ヒマラヤシエルパの村、カトマンズから約10日かかる)へ徒歩でヒマラヤを越えして担ぎ上げる闇ルートチベット側の最後の部落まで運ぶトラックの様である。チョモランマ氷河から流れる川沿いに道を登る、ここあたりはグーグルアースで眺めていたので道筋がわかり衛星の凄さに驚く、突然目の前に8848mのチョロランマの全容が午後の西日を浴びてか輝いている、それに向いどんどん車が走る刻一刻と近づき3000数百mのほぼ垂直に見える白く輝く氷河が迫る。世界で最も高いところにあるお寺ロンボク寺(5000m)を横目に更にBCへ向けて登る、ベースキャンプの3㌔は手前の道路の両脇にそれぞれがホテルと看板を掲げたチベットテント(夏から10月中まで)が数十軒、軒を連ねている
ここが今夜の宿泊テントである早速、物色をして寝床を確保する、表は汚く掘立て小屋の様であるが中はチベット式の雑魚寝ドミトリーで綺麗である、
電灯は無くに日中のソーラーパネルで充電して夜蛍光灯を灯す、暖房はヤクの糞を乾燥させ崩した紛を燃やす、子供の頃の粉炭ストーブであり懐かしい、これで食事の支度もする。トイレは共同でありブルーシートで囲まれているが、川の上に板を引きその板の間で用を足す、5列ぐらいの穴があるが只床に空いている、丁度釣り橋の上で用を足す、揺れて恐ろしい、そして夜は電気も無く暗く、落ちそうになり恐ろしく揺れの少ない一番端で済ませた、それは恐ろしい、恐怖である。むしろ野外の岩陰の方が安全であるが、罰金、10元の看板がある。ここからBCへは車は入れない、チベットの地元へお金を落とさせる観光振興策で馬車の利用である。何台もの馬車が待機して客引きをしている、料金は1人往復80元、馬車追いの親父は観光ずれして中々であり帰りの時間を指定して彼らの都合の良いロテーションでこちらの要望を聞かない、途中まで馬車に親父も乗っていたが流石登りとなり馬と一緒に歩き出した、氷河が押し出した岩石の山モーレンを登りBCへ3㌔と聞いていたがそれは直線距離であり焼く5㌔あり一時間ほどかかり、中国軍の旗がなびくBCへ到着、ここから更に徒歩で歩く、遠吠えが聞こえる、狼である、中国の兵隊が銃を持ち警戒する、幾ら見ていても飽きない、北西壁でありに夕方の赤みを帯びた西日が全体を照らし3000数百mのとてつもなく大きな氷河の壁、ピークはニッコリと笑う神の顔の様である、只呆然と立ちすくみ拝みたくなる。この90度裏にある14年前のネパールの南西壁を思い出す、写真右が93年サガルマーター(ネパールの呼び名千人が亡くなる被害が出ているようで、雨が多ければヒマラヤは氷河が発達するのが理解できる、チョモランマピークからここBCまで富士山の高さと同じ、真白い氷の壁である。
もはや帰りの馬車が迎えが来る時間である、残念であるが戻らなければ、馬車が既に待っていた、帰りは下りで早い、途中急に雲が出てきて温度が下がり霙となる、テントに近くまで下がると晴れてきた、更にテント前から暗くなるまで雄峰を眺めていた、素晴らしい、もうに一泊したいくらいである、
夜、食事のメニユーが出されるがどれも高地障害もあり食欲が湧かない、
ここで日本から持ち込んだレトルトのお粥と卵スープ、それとシバ漬け、ホタテの貝柱、を食べることにする、貝柱をチベットの人々へもお裾分け、彼らには中国料理の高級食材である事は分かっていない様で喜ばない。
矢張り我々最後の切り札日本食で元気を整える、ここの高地はチベットのガイドも頭痛がするらしく私が飲んでるサプリとラサで買ってきた高原薬を欲しがる、残り少なくなっていたが分けてやる。食後何もする事は無く早々と寝る支度をする、寝厚いウンモウの袋で暖かい快適、寒いのではと心配していたが全く心配は要らない。早く眠る・・・・・  

Posted by 走るキンサク at 19:51Comments(0)走る金作チベツトを行く西遊記

2007年11月19日

チョモランマの入り口テンリーの村へ

●9/21 サキヤの朝何時ものように5時(チベット時間3時)過ぎ起床、脈拍60順調、しかしゆっくり朝の体操。人影は無く野犬がタムロしている、暗い朝7時(チベット時間5時)に町に音楽が流れる、同時にホイッスルを吹き鳴らしながら歩く人がいる、どうやら北京時間を告げている様である。8時になりようやくシャワーのお湯が出る何日ぶりかで浴びる。ホテルで朝食を済ませ代金を払いお釣りを待つ、ウエトレスがお金を持ったまま出て行く、戻ってこない、、、5分ぐらいして両替して戻ってきた、そこからお釣りを戻すシステムでレジにはつり銭は入れていないようである、どうも引き算は苦手のチベット式である。今日はここサキヤから登り5250mのラクバ峠を越えてチョロランマへの入口の村テンリーへ向かう、峠付近で放牧生活しているらしいチベットの若い女性に会う、衣服も顔も汚れ女を感じさせない、特にこの高度では尚更である。
遠くに世界の屋根チョモランマ、ロツエー、マカール、チョオー、シシヤパンマの8000m級のヒマラヤが連なって見える、これからその麓まで行くとどんな迫力で迫って来るかと思うと何かワクワクする、しかし5200mの高度では空気が薄く口に入ってこない感じがする、興奮しないようあまり動かずゆっくりと、、、眺める。
ここから一気に下り、荒涼とした茶色一面の原野の中のチョモランマ入口のテンリー村に昼過ぎ到着、昼食後ホテルを探し交渉しイン、この村にはチョロランマへの入場券と買う事務所がある、1人180元、車は300元、で旅行許可書を見せて買う。村は矢張り汚く、馬車と車、三輪車と単車である、ゴミは多く、川は捨て場となっており矢張り昔の日本と同じである。この田舎でもミネラル水は何処の店でも売っている、1.5L7元(息子が買うと5元)電池は高く単三アルカリ(中国製)8本で60元(900円)性能が悪く使い物にならない。村の人々は廃墟のような住宅に見える日干し煉瓦の家に住んでいる、みすぼらしく見えるが、しかし家の材料は地場資源を使う事がどの民族も原則でありこれが当たり前であろう。彼等から見たら日本の家は、4、50年の耐用年数で燃えるような木造はやはりみすぼらしく見あるのであろう、しかし私は泥の中で生活は合わない。ここに最近日本でも売られているコラーのような飲み物「赤い牛」のボトリング工場(水豊富)が建設されていた。山々からの水が豊富でこの村の近くには水力発電所が数箇所ある、村には電柱もあるが一般の家へはあまり電気が引かれていないようである。
夜、夕食後のミーテング、急にガイドが24日にザンムへ着くようにニャラムで宿泊すると言い出してきた。昨日会社へ旅行契約の確認をするようにと言っておいた事が効いたのか、これで安心、明日はいよいよチョロランマのBCへ
14年前の93年にネパール側のサガルマーター(ネパール語)BCへ10日間歩いて尋ねたその反対側の南西壁を崇めて来たが、、中国側の北西壁はどのようであるかと思うと寝付けない矢張り高度の影響からか、ここ数日思考力が落ちて日記を書くのが億劫である。
  

Posted by 走るキンサク at 13:49Comments(0)走る金作チベツトを行く西遊記

2007年11月11日

9/20,標高3950mの町チベットのギャンッエ

9/20ギャンツエの朝脈拍63、ラサと変わらない。朝6時であるが暗い、北京と本来は2時間の時差があり実際には朝4時である、外を見ると野良犬だけがうろっいている。
8時(実際は6時)子供たちが学校に行く(北京時間で開校)、親が子供をバイクで送る姿が見える。朝食を街の食堂でお粥に饅頭を入れ食べる。
・朝9時出発の時間になってもドライバーが来ない、どうやら昨夜飲み過ぎた様である。
ヒマラヤ山脈の北斜面を水源とするヤルッアンポ川沿いに上流へと走る、ラサからこの川沿いに懸命に植林している中国の姿勢が伺える、この国道は最近高速道に整備され快適に走る、しかし日本の一般国道レベルである、途中検問を受け昼前にチベット第二の都市シガッエ(人口周辺もいれ100万)に到着、都市開発が進められラサより活気がある、レストランも綺麗であり美味い、本来はここで一泊するはずであったがドライバーは先を行きたがりこちらの思うようにしてくれない。
この町のタルシンポ寺を息子と二人で見学、今チベットで最も活発な寺院であり約1000人の多くの僧侶が生活している。寺院は綺麗であり中国政府が10億掛けたて建立した霊塔はきらびやかに輝いていた、しかし写真撮影は約2000円取られた(とんでもなく高い!)寺院内にソラー湯沸しが多く見られる。
寺院の道路で僧侶が屈んでいる、その目つきから何か呪文でも唱えているのかと思い眺めているとそれは小便をしていたのであった、寺院の中の僧侶などの生活はのどかである。午後サキヤへ向けて走る、ランツエの手前にシチン温泉があるのでそこで入浴していく事にしたがドライバーが計画書にないとこちらの要望を受け付けない(毎朝煙草などチップ代わりやり機嫌を取っていたが)、どうもガイドよりこちらではドライバーが偉いようである、兎に角早くザンムまで行き帰りたいようでサービス精神はなくノルマを達成する事だけである。
温泉は諦めてサキヤへ向かう、山肌が泥で赤味かかった荒涼とした風景の中をはしり小さな村、標高4200mのサキヤへ到着、早速ホテルを確保してサキヤ寺を見学へ細い道を歩き山の沿うようにある北寺を上る、寺の仏像を写真に納めると坊さんが見せれと言うので見せると突然、液晶画面へ向いお経を上げだした、終えると仏をもって帰っても良いとOKが出た。更に別の寺、南寺へ、ここは城壁に囲まれた要塞のような寺である、ここサキヤ派の寺は白と黒の色彩で独特である。ここの村は流石、四輪自動車は少なく若者はオートーバイである、しかし若者は携帯は持っている、村の道は泥道でゴミ(プラ系)が散乱している。中心街の路上で立小便をしている女性の姿が見られる、子供たちは我々観光客は物をくれる人であり付きまとう、しかしその要望はお菓子類ではなくナネー、ナネーの連発、写真を取ると必ずマネーを要求する。しかし小さな子供はカメラに収まっている自分自身を見たくせがむ、10数年前までは飴等お菓子などをせがんで付きまとってきたが、今はキャッシュ、現金である長年変わらないチベット文化と現在社会が混在してそれなりの社会が形成されている。50年以上掛けて今日まで来た私の頭は切り替えができない、何か見ているだけで頭は混乱し疲れる。村の南にあるサキヤ南寺(要塞の様な城壁に囲まれている)を見学、パキスタンからチベット入りして1人で自転車旅行しているフランスの女性に会う、勇気と元気に驚かされると同時に許可書はどうしたのか?(パキスタンからは何故か入りやすいようである)。
夕食はガイドと同じカレー定食風なものを食べるどれも温くて美味くない、明日からの予定を打ち合わせ、契約と違うと説明するがドライバーがどうしても一日早く帰りたいようである、契約したラサの会社へ相談しろと言って別れる。
  

Posted by 走るキンサク at 15:41Comments(0)走る金作チベツトを行く西遊記

2007年11月08日

いよいよチョロランマへ向けての旅立ち9/19

●9/19 今日から5泊6日でチョロランマBC,ヒマラヤ山脈を越えネパールとの国境の町ザンムまで約1000キロ西遊記を私(三蔵)、息子金太郎(孫悟空)、ガイド(猪八戒)、ドライバー(紗悟浄)とランドクルーザー(白馬)で朝8時にラサを出発、その前に1人で朝ジョカン寺まで散歩し旅の安全の祈る、仕事前の朝のお参りで凄い賑わいである、バターを供え灯明にする、その煙で街中が煙で霞んで見えない、お陰で道に迷いホテルへ戻れなくなり聞きながらようやく戻る。先ず出発前に車へ給油、1L5元(75円)である日本より安いが、貨幣価値から考えると凄い値段である、しかしそれをすさまじい勢いで利用するこの中国の車社会、何故これだけの経済力があるのか?車は矢張り魔物の魅力か?ヒマラヤ山脈の北側の水をインドのガンジス川流すヤルッアンポ川沿いにゴンカル空港方面へ行く途中で検問ゲートがあり旅行許可書のチエックを受ける、更に曲水(チュシュ)でヤルッアンポ川にかかる長い橋を渡り隣の県に入ると叉チェツクを受ける、そこから右に曲がり農村を行くとカンバ峠(4750m)急な上り坂になり1000m位登ると峠頂上のタルチョがはためいている、それを過ぎると突然眼下にヤムドク湖、正に聖なるトルコ石の湖(標高4250m、面積は琵琶湖とほぼ同じで最大水深60m)である、一気に1000m上げてきたのでくらくらする、ゆっくり散策ししばし登ってきた峠の道と湖を眺める。来た道を戻り一気に1000M高度下る、ブレキーのデスクが焼け付き効きが悪い様で途中で冷却の水を掛ける、ものすごい蒸気が舞う。農家で日銭を稼いでいる。国道へ戻り叉川沿いに走る、昼食をこれから取ると言いながら急に車を止める、異なる隣の県での検問所がありチェツクを受けるが許可書の通過時刻は午後でありそれまで少し待つことのこと、兎に角旅行者のチェツクが厳しい。途中のレストランで麺昼食をとり午後更に車を進める、高い山からの泥流を避けながらその間に人々が住み農業営んでいる、荒涼の中に時折、林がありその側の菜の花畑がとても綺麗に見える。渓谷を抜けて西遊記の景色の砂漠のような地形、そこから急に道を外れ、乾季に入り干しあがった川道のオフロードの近道を走る、本当に砂漠を行く西遊記である。何も無い砂漠の中であるが小さな部落が有った、我々の車が来るのを知って子供達が家から出てきて物欲しそうに見つめている。それを無視して更に1時間ほど走り本来の国道へ出る、そこから今日の宿泊の街ギャンッエへ到着、この街は標高3950mでありチベットで8番目である、街中心の前にギャンッエ城が聳え立つている、先ずホテルの確保(ツインで4500円)をして城へ向かう、
お城への道は急で高度を考えて私は途中で止め戻る、息子は上まで登りきってきた。夕食はホテルでする二人で68元(1000円)、アサヒビールがある試しに飲んでみるが飲めない(高度)値段は一本30元(450円)で中国ビールの10倍で日本並である。息子は必要以上にホテルの女性から声をかけられる、日本青年男子は人気がある。この街も日本語は全く通じなく英語とチベット語である、ガイドが明日サキヤまで走り、計画を一日早めると言い出した、6日間のチャーターの契約でありお金は戻るかと尋ねると、我々をザンムまで届ける契約の請負であるから戻さないと言い出す。話は物別れであるがこれからの進みぐあいで検討することとして明日、シガッエ、サキヤと行く事にする。
バスとトイレ付きで有るが機能しないバケツで水を流す。どうもこれがチベット流でありボットントイレが普通でありこれが最高の設備のようである。
  

Posted by 走るキンサク at 12:07Comments(0)走る金作チベツトを行く西遊記