さぽろぐ

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プロフィール
走るキンサク
走るキンサク
 氏名    橋    金作
        走 る キンサク(76歳)

●主な役職
株式会社エコニクス創業相談役
㈱沿海調査エンジニヤリング相談役、 
(財)電気保安協会 理事、
(元)北海道経済連合会常任理事
●趣味スポーツ歴
・日本海沿岸走5800㌔走破
 北海道沿岸道3000㌔走破、
 青森竜飛岬から青森・秋田・山形・新潟・富山・石川・福井・京都・兵庫・鳥取・島根・山 口・福岡・佐賀・長崎県野母崎の日本海沿岸2800㌔走破、九州最南端佐多岬ヘ、青森大間崎から太平洋沿岸久慈海女ちゃん小袖浜へ更に陸奥海岸復興視察ランで女川へ
・サロマ100㌔ウルトラマラソン4回完走、
・札幌スキーマラソン50キロ15回完走、
・オホーック85㌔スキーマラソン11回完走、
・ヒマラヤ カラパタール5545m、ゴーキョピーク5357m登頂。
・エベレストBCへ2度(チベット側チョロランマ、ネパール側サガールマーター)
・国際潜水教師協会理事(NAUI)元インストラクターDr、
・他に北海道、東京、ホノルル、洞爺、千歳、網走等のフル、利尻一周55㌔マラソン等など完走、自転車、水泳、カヌーなど
平成 2018年 3月 現在
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Posted by さぽろぐ運営事務局 at

2008年07月06日

仙人生活から3000m以下の俗社会ルクラ、そして帰国

5/6更なる下界パクデンからルクラへ
昨夜の久しぶりの飲みすぎから一夜が明けての早朝、至って元気である。
MTもHYさんも皆元気、やはり高度が下がると全然違う、、我々は仙人には成れない普通の俗人である。今日はトレッキング最後に日、のどかなネパールの田園風景を見、味わいながらドウドコシ川を一度100m下がりそこからルクラまで300mの久しぶりの登りである、しかし特にルクラ手前の200mの登りは堪えました。3000mを超えるハイヒマラヤ地帯とは違い高度が下がり緑も濃く植物など生き物の匂い、香りがして人々の生活が懐かしく感じる。昼過ぎルクラの軍監視のゲートを通過して到着。パクデン、ルクラともロッチからホテルらしくなりトイレもボットンからウエスタン式で水も流れ、部屋の壁もベニヤ板が両部屋から2重に張られている、
資材が豊かに見えるがカトマンズから歩いて6日はかけて担ぎ上げた物である、しかし3000m以下は物が豊富でゆとりを感じられる。ここルクラは午後になると寒く暖房が欲しくなる、、、そしてビールを飲むためにも、、、夕食まで休憩で荷物などの整理をする。
今日は朝から飛行機が飛ばなく多くの乗客が街にいるようである、明日どうか飛びますように、、、祈る。
夕食はストーブがある部屋、多くのお客でホテル(ロッチ)が一杯であり狭いテーブルでシルパ、ポーター達とお別れパーテーである、欧米の各国の人々も同じくパーテーでありホテル中が酒盛りである。ここでは文明が感じられ、ビールも食事も我々先進国の人々に合い、美味い、踊り、歌い、笛などで盛り上がり別れを惜しむ、、、セルパー、ポーターはここから家まで帰るのに何時間かかるか聞くと、、、「近い」と返事「どのぐらい」?「3日間」、、、驚き!歩く時間の感覚が違う。
道中ポーターの履いている靴(中国製の数百円の古いゴム靴)を見かねたのかMTは私のトレッキング靴(買い換える予定)サイズが合うようでしたらプレゼントと差し上げる、大変な喜びよう、ポーターはトレッキングシューズは買えないようである。
ここまで来ればもう安心、、地酒のチャー、ロキシーなどを飲む、、、高地で低酸素が効いているようで酔わない。明日は7時に飛行場である、、、しかしホテルの直ぐ横である、朝は早いのでほどほどに寝よう。
●5/7ルクラヒマールからお別れ
朝、何時ものように5時起床、寒い、、曇り、、、これでは飛べないのでは、、、、
兎に角7時に飛行場へ、、、、待合室で待つ、、、カトマンズを飛んだとのこと、、、後はルクラへ着陸ができるかである、、、手荷物検査が来るときと違い厳重である、、、折り畳みの傘も持ち込めない、、、日本人か?、OKである。一番機が到着、すぐに2番機、我々は3番機である、、、まだ着陸しない、、、天気が崩れないことを祈る。着陸し乗客を降ろし直ぐに乗せ飛び立つ、、ピストン輸送である、、飛行場は狭く2機しか駐機できない、離陸した後に我々の3番機が着陸、、これで帰れる。急いで乗り込みヒマラヤとお別れ、、、さようなら、、、、13日間仙人のような暮らし、車も無く、ただひたすら人々は歩く、、、すべての物が人間の足で運ばれる、、、、
食事は麦、米と野菜と香辛料であり100年以上前の生活である。今我々先進諸国が向かおうとしている脱炭層、低炭素社会とはこんな社会である、とても我々は生活できない、、、、しかし後進国にだけ押し付けて良いのだろうか、、、やはりモッタイナイ精神と脱炭層の社会構築の科学技術の研究開発とその援助が我々の責務であろう。
無事カトマンズへ到着、ここは車、オートバイ、人々の混雑、これが現実である。ホテルで13日振りのお風呂に入る、、、身体は汚れ浴槽の水は濁り驚く、、、しかし風呂の水が最初から濁っていた、、ネパールの水道の現状。今宵はネパール文化を堪能しながらの王宮料理で夕食、、、流石都会、食事は美味い、、
翌日朝王宮の回り10㌔ほど走る、何時ものように排気ガスで喉が痛い、今まで仙人暮らしには堪える、しかし苦しくは無い高度順応がまだ効いているようだ、、、帰国後の洞爺、千歳のフルマラソン、サロマ100㌔が楽しみである。
5/10韓国イチョン空港で宿泊して無事サッポロへ帰国しました。



皆さんご支援ありがとうございました、ゴーキョピークはグループ皆の登頂です。


  

Posted by 走るキンサク at 17:52Comments(0)ヒマラヤゴーキョ5357m遠征報告

2008年07月03日

5/5いよいよ下界、、、ビールで乾杯

●5/5 ケンジョマからパクデンへ1000m下がる。
高度も下がり空気も何か柔らかく美味し、、、夜も今までよりぐっすり眠れる。
今日は朝から曇り、来たときのようにエベレストも他の山々も見えない、平坦道を行く、3500m辺りは人々の生活を感じるが、野生動物も多く見られネパールの国鳥ダフエ(皇帝キジ)、鹿、鷲などが別れの見送りをしてくれているように多く現れる、ナムチェバザールへ9時半頃到着。この村の上の方に小学校がある10時からの開校であり下の方から登り道を皆元気に歩いて登校してくる、しかし中学生ぐらいの少女に肩車で登校してくる子供がいる、この村の子供にしてはどうなっているのかと驚く、この村有数なお金持ちの家の子供がお手伝さんの少女に肩車で送り迎えさせているのである、この少女は恐らく中学校へは行けない家の子供なのであろう、、、どこの社会も経済的なゆとりが子供を甘やかすのであろう、、、この子の将来が心配である。
ここから約600mの下りであるが急で危ない!、此処を登ってきたか、、確かに苦しかった、、、この下りを上手く順応させながら登らないと高山病になる、、、下り終えジュルサレで昼食、今夜はいよいよビールが飲める、、、今夜から毎夜パーテーをしてセルパとポートを労うからと話をすると昼休みもそこそこにしてパクデンへ向けて出発、、それから歩く速度が急に速くなる。夕方と到着空気が更に柔らかく人が生活できる環境を感じる。ロッチの女将さんからMTに着せるセルパ族の正装衣装を借り今夜彼らへの感謝を示すもてなしをする事とする。冷えたサンミゲルビールを氷河と流水で冷やし夜を待つ。乾杯!何日振りのビールか、、、美味い、美味い!いくらでも飲める、、、MTは元々酒は飲めないのだが、、飲みっぷりが良い、、、更に笛を吹き、歌い、踊り、、、で大変な盛り上がりである。毎夜8時過ぎには床に着いていたが今宵は10時まで飲み続ける、MTは相当に酔っており明日の朝が心配である。
  

Posted by 走るキンサク at 15:06Comments(0)ヒマラヤゴーキョ5357m遠征報告

2008年06月29日

5/4俗世へ向けての下山マッセルモからケンジョマ

●5/4俗世へ向けての下山マッセルモからケンジョマ
今朝のマッセルモは特に寒い昨夜雨が降ったが山は雪であったようで今朝の山々は一段と白く、朝日があたり輝いている、登頂しなければとの緊張感もなく更に高度を1000mも下がった事から体が軽い、HYさんも今朝は顔もすっきりしており快調の様である、顔を洗いに外へ出るが寒い、岩を触ると手が凍り付いて離れない、今朝はマイナス10℃以下であろう。
今日は昇りで2日かけて来たケンジョマ(タムセルクビューのナムチエの近く)までモンラ峠で昼食を取り約1000mを一日で降りる。この行程はアップダウンのきっい道程である、特にポルッテンガからモンラまで300mの登りは苦しい、、来る時の急な下りで想像が付く。昼食は午後1時過ぎになるので日本から持って来たレトルトのお粥をザックに入れる。
出発、ここは盆地の中にあるロッチであり直ぐに急な長い登りである、まだ身体が温まっていないので堪える、、、更に下がるとなると高度障害は無いのでガイドセルパーの歩く速度は倍以上になる、展望の良い尾根に登ると今度は長い下りが続くである、私の足は走りに鍛えてあるので山の下りは苦手であり岩に足が引っかかり転びそうになり恐ろしい、、、HYさんは日本100名山の内88山を踏破した山のベテランであり早い、MTも山女で早い、付いて行こうとするが足が伴わない。ドードコシ川岸のポルテテンガに昼頃到着ここから300mの登りである、休息を取りお粥を探すが見つからない、、、どうした事か、、、飴玉を舐めり登りへ向かう、、来た時も急だと思って降りてきたが兎に角急である。
皆に付いて行く事ができない、途中からどうも腹が減りすぎて身体が動かない、、、ガス欠である。皆を先に行かせ何かを食べなければとザックからチーズとカンパンを出して食べる、このエネルギーで一気に登ろう!、峠のチョルテンが見えてきた最後の頑張りだ!、、午後1時過ぎモンラに到着。
来る時宿泊したロッチで昼食、若いお母さんが赤ちゃんを連れて数人集まっている、今日はこの近くの赤ちゃんの予防接種の日である。
赤ちゃんにオッパイを上げている、、乳房がモロ見えである、、、ふくよかな真白の肌のオッパイ、、、こんなの見るのは久しぶり、唾を飲み込む、、、どうも高度が下がり俗欲が出てきたようだ、、、お酒も色気も此処10日以上高度で無く仙人の様であったが今度は俗人の危ない人である。ここからはケンジョマまでは山裾をトラパスしての緩い下りである、来る時の石楠花が満開で私たちを迎えてくれた。午後3時過ぎに到着、、ここはサムセルクの最高の展望であるが夕方は雲が出てきており見えない。
午後3時過ぎに到着、、ここはサムセルクの最高の展望であるが夕方は雲が出てきており見えない。この辺りでは大変奇麗なロッチであり、朝パンを焼いて売っており電子レンジで温めてくれる、値段は日本と殆ど同じであり驚くほど高く先進諸国のトレッカーむきである。
早速、汗で汚れた顔を洗いたく洗面所を探す、トイレにある説明、トイレに行くそこには用を足すのにタンクに貯めてある水がある、、、流石の私も臭いトイレでこれでは洗う気持ちにはなれない、、、戻りHYさんに尋ねると同じく洗えなかったとのこと。
韓国のチームが数十人同じく宿泊している、相当のベテランらしくしつこく語る、、、食事を見ていると食材から食器の果てまで韓国からの持込である、これなら元気も出る、、、流石、、、しかし数人は具合が悪そうである。
こちらは快調で元気一杯、、、一杯飲みたい、、、しかしここはまだ3500m以上明日まで我慢しよう。





  

Posted by 走るキンサク at 11:02Comments(0)ヒマラヤゴーキョ5357m遠征報告

2008年06月26日

5/3 ゴーキョピーク5357m登頂

5/3ゴーキョピーク登頂(5357m)
朝4時起床、ゴーキョの朝は寒い、早速食事を済ませ6時から登り始め昼までに戻り、ここで昼食をしてマッチャルモまで下がる。HYさんは残念であるが勇気ある撤退で午前中にマッチャルモまで下山して夕方我々と合流する事にした。
登りの道が見えるがカラパタール(15年前登頂)よりもとてつもなく急である、
昔苦しんだ事を思い出し覚悟を決め登る、シエルパが心配して二人のカメラ(一眼レフ)、水、ザックなど全ての荷物を持ってくれる、、、大名登山である。多少躊躇いがあるが空気が下界の半分であり素直にお願いする。
一段とゆっくり、ゆっくりと登り始める、、、ゴーキョの湖が素晴らしい、、、
チョウオーの南に広がるゴジュンバ氷河、エベレストからのクンブ氷河より大きい、年々この巾は広がりを見せておりゴーキョは何れ氷河で削り取られる無くなるそうである。朝気温が低くチベットとの国境のエベレスト山群は曇っておりピークは見渡せない、、きっとゴーキョピークにたどり着く頃には晴れるだろう。
何度も休憩を取り登る、MTがトイレタイムを要望、、、ここは大きな岩も無く隠れるところが無い、道から外れる場所を探している、落ちるのではないかと心配、、危ない。用を足したところで他のトレッカーがそこに現れる、、、もう少しで出会うところであった、、、危なかったと叫んでいる。上の方に山頂のチョルテンが幽かに見える、、、あそこまでか、、、近くに見えるがこれが遠く苦しいのである、、、、必ずその前に最後の急な難所があるはずと言い聞かせ体力を残しながらゆっくり、ゆっくりと、、、ピークは近いチョルテンが見える、ここから一気に登り切る!9時30分登頂、私達二人をヒマラヤ岩ひばりが迎えてくれた。苦しさを覚悟をしていたことから15年前のカラパタールより楽であった。

ここ山頂は狭く大きな岩がゴロゴロあり腰を降ろせるところが少ない、空気も薄くふら付いており岩の上を歩くのが難しい、、、矢張りここで転んでしまい、滑落の危険でポーターが私を抑える、、、助かった!有り難う。
ここは晴れているが残念ながら東にあるエベレスト山群は晴れない、ピークの良い顔を見せてはくれない。晴れていればゴーキョピークから見える予定の大パノラマ左から右へを紹介します、、、こんなはずでしたが(絵葉書からコピー)
午後は雲が出ると下山、、、しかし急な下りはふら付く足には危険である、慎重に慎重に下る、、、、昼過ぎにゴーキョのロッチに到着、昼食を取る、MTが何時もの食欲が無い、、、どうしたことか高度を下げると元気がなくなるようで矢張り雪女のようである。曇りはじめ急激に気温が下がる、そして雨が降ってきた。ここからの下りは雨の中である、、ピークから早めに下山して良かった、、、
空気が濃くなり下りは楽であり歩く速度が段々と速くなる。途中から雨も止み夕方3時過ぎにマッセルモへ到着してHYさんと合流、、夕食は最後の日本食、親子丼振りである、、しかし思ったより美味くない、、、矢張り「佐藤のご飯」は100度で煮ないと駄目である、しかし1000m下がった事から身体は楽である。不調で登頂できなかった仲間の分も合わせ登頂しここまで戻れた、、これで安心皆さんお疲れ様でした。ここで乾杯といきたいところですが後2日パクデンまで2000m下がるまでお預けです。



  

Posted by 走るキンサク at 13:51Comments(0)ヒマラヤゴーキョ5357m遠征報告

2008年06月17日

5/2マッセルモからゴーキョ(4790m)へ

5/2マッセルモからゴーキョ(4790m)へ
朝、5時起床、脈拍72、O2濃度78少し下がっている、しかし体調は順調。
ここからは、5000mの領域に入ることからポータが我々の体調を考え、リックをポータが背負いカメラだけを持ち、8時過ぎにゴーキョを目指して歩き始める。早速200mの登りである、この高度ではまだ身体が温まってなくこの急な登りは堪える、、、流石5000m域、下界では意識を失う空気は半分である。
登り切ると遠くに300mほどのモーレン(氷河が岩石を削り押し出した岩石の山)が見える、この先叉あれを登るのか、、、ため息がでる。登りで踏み込むと頭がくらくらして足の筋肉が痺れる、ここから少し平坦な道が続く、8000m越えるチョウオーが前面に迫ってくる、パングアのカルカが見えてきた、ここは1995年日本人10数名が左手前方の山からの雪崩に合い死亡した現場である、般若心経を唱える冥福を祈る、以前は石碑が有ったが今は取り払われていた。
ここから徐々に登りとなり、前方に200m以上はあるモーレンが迫り急激な絶壁をトラバスする登りとなる、キツイ、、しかしMT嬢は依然元気でハシャイデいる、、、矢張り女イエテのようである。登りきると小さな青色の沼がある、、、そこに2羽のアヒルが私達を迎えてくれた昔から2羽しか居ないとの事、この厳しい環境では二羽が生息の限界なのであろう、、、(地球は何10億人が限界なのか?)更に行くと湖面全部が紺碧の青第二湖がある、白い氷河を写し素晴らしい、更に前方にゴーキョピーク5357mが見える、、、登山道が見える、しかし殆ど直登、、、明日はこれを約600mの登るのか、、、恐ろしい、、、どうなる事か。
第三湖の側に今日の目的地であるゴーキョが見えてきた、、、焦らずゆっくり歩く、ロッチに到着、早速遅い昼食、、、気温が低く寒い、、ダウンに着替え、部屋の寝袋に入り休む、、、ここ数日殆ど食事ができないHYさんは元気が無く辛そうである、此処5000m領域まで来たのでこれで満足と安全を考え明日はピークを諦めて下山すると申し出でがあり、MT嬢と私の二人で他の3名分も合わせて登ることにする。明日のために早く眠ろう、、、、午後8時寝る。
  

Posted by 走るキンサク at 19:54Comments(0)ヒマラヤゴーキョ5357m遠征報告

2008年06月14日

高地順応マッセルモでの滞在

5/1、脈拍60、O2濃度80少し脈が上がっているが順調、朝は寒く山から引いている水道パイプが凍り付いて水が出ない、日中になると強い紫外線で温まりそれ程冷たくは無い、朝湯たんぽの残り湯で歯磨き、髭剃り、洗顔、、、、これも此処では貴重な水資源である。段々と日差しが強くなり暖かい、早速今まで汗で濡れたシャツなど下着を外で干す、これで着替えができる、考えたらもう何日身体を洗ってない事か、、、日中外で椅子に座り身体を休め山々を眺める、、、神秘的で雪男の存在を感じる、静かである、実に静かである、、、全てが地球の時間で動いている、、この景色は数千年変わっていないのだろう、、、、カラン、コロンとヤクの首につけた鈴の音だけが聞こえる、、水は氷河、エネルギーは太陽熱と燃料としてのヤクの糞、ゴミ、、肥料は人間と焼ヤクの排泄物、、、、神の手の平の中で生かされている無力の人間を感じる。















「コンドルが飛んでいる」の笛の音が聞こえる、、、MTがなんと笛を吹いている、、、このヒマールの山間の岩崖の上で笛を吹く女である、、、素晴らしい後景!彼女は食欲も落ちず、高度が上がるにつれて元気を増す、現地セルパのガイドを驚く雪女である、、、

此処マッセルモは雪男、女の故郷と言われており、、、真さに彼女の里帰りである、、、心配は雪男が拉致に来るのではないかである、、、この4400mを越えると更にゆっくりしか動けない、、、呼吸も薄い空気を少しでも多く取り入れる深くゆっくりである、段々と思考力が弱くなり字を書くのが億劫である、特に漢字が思い出せない、書きたいことは多いのだが書けない、、、疲れたのでこの辺で止める。ミネラル水は遂に200ルピーでカトマンズの4倍である。  

Posted by 走るキンサク at 08:41Comments(1)ヒマラヤゴーキョ5357m遠征報告

2008年06月11日

4/30雪男の故郷マッセルモ(4410m)へ

4/30ドーレ(4200m)からマッチェルモ(4465m)朝5時、何時ものように起床、晴天、調子は良い、脈57、血中酸素80、
朝8時出発、体が温まってないところで直ぐに200M以上の登り、これがきつい矢張り4200m、岩を登りで力むとクラクラ来る、酸素不足で筋肉が悲鳴を上げてピリピリと切り裂け痺れる、今まで以上にゆっくりと深い呼吸をしながら時間をかけて登る、ようやく登り切った。振り向くと今まで来た山道が見える、後方にサムセル(6618m)、カンテガ(6783m)、右手にタウチエ(6367m)、チョラッエ(6335m)、前方にチベット国境のチューユ(8153m)、360度の大パノラマである流石に4400mの眺めである、疲れも忘れ見とれる。
少し下り盆地のルサに到着し休息、遠くの尾根にチョルテンが幽かに見える、あの向こうの下が今日の目的地マッチェルモである、これから更にあの尾根まで登るのかとため息をする、さあ行こう!。
岩山に僅かの芝類を捜し求めながら寂しそうにこちらを見つめるヤクの顔が見える、今度生まれる時は人間になろうと羨ましそうである、俺たち今度はヤクかと話しながら長い登りを歩く、、、登りきりすぐ下にマッチエルモが見える。ここからのチョウユーは素晴らしい、あの下がゴーキョだろう。
ロッチに午後到着、何時ものように下の方から雲が出てきて風が強くなり急激に気温が下がる、ダウンを着込む。4300mは確かに違う世界であり空気が薄く、山々は神がかっており神秘的である、ここは雪男が出た言われる雪男イエテの故郷である。    
 
トイレへ行くとお経が聞こえてきた、何処かでチベットの坊さんが上げている、有り難く聞きながら用を足していた、ナンと目の前に蝿が飛んできた、坊さんではなく蝿でした、来世はこれかもしれない。酸素不足で何か考えが変になってきた、、、、危ない。夕食時に血中酸素を測定すると80である、矢張り体温を下げると直ぐに低下する。
顔がひりひりする、今朝日焼け止めを塗り忘れていた、紫外線が強い。
今夜は日本食で魚の缶詰とシジミの味噌汁で明日からに備える「佐藤のご飯」を10分茹でてもらうが、めっこ飯である、沸騰しても60度ぐらいしか上がらない、お湯を入れて更に煮込む、ご飯とは言えないが我慢して食べる。明日は高度順応で休息日、何か嬉しい、、、ここで一日滞在である。
  

Posted by 走るキンサク at 22:58Comments(0)ヒマラヤゴーキョ5357m遠征報告

2008年05月31日

4/29 モンラからドーレ(4328m)

朝5時起床、今日も体調は良し、脈57、酸素濃度は80。
此処峠の上から一気にタウチエの村の川まで下りの500mである、これが急で下りの苦手な私には危ない、、帰りはこれを登るのかと思うと嫌になる、しかしとり越し苦労は止めて今を大事に下る。今度は川岸からドーレまで700mの長い登りが続く、気温が上がり暑い、途中谷の向い側のタウチ傾斜に崖を横切るようにパンボチエからの道が続いている、危ないだろうと考える。
しかしこちらも向かいから同じように見えているのだろう。タウチの氷河から長い1000m位の導水管が下まで繋がっている水力発電所である。氷河のから流れる滝が幾つもある冷たく綺麗である、シャルパ、ポーター達は美味そうに飲んでいる、つい私達も飲みたくなる、、しかしこれが危ない腹を壊す元である。地元の人は一本300円もするミネラル水は高くて(一日の給金相当)飲めないので無料の流水を飲む。ドンドン高度が上がり遠くの山裾にチョルテン(旗)が微かに見える。あれの向うが今日の宿泊場所のドーレである。頑張ろう!このあたりはモンラと違い石楠花の林であり日陰が涼しい。上りきった尾根の下の盆地にドーレの部落が見える、ロッチへ入り遅い昼食、午後は高度順応で休息、この村が森林限界のようで此処から上は森林は無くハイ松類に変わる。  気温が高く暖かいので外でストレッチをしながら休息をしながら汗で濡れたシャッなどを干す、しかし急速に気温が下がり寒い、薄着で居たので体温を下げて鼻水がでる、室内に入るが暖も無く寒い、夕方酸素濃度を測ると73まで下がっていた、風を引いては大変とダウンを着込みストーブに火を入れて貰う、やはり体温調整が大事。夕食時にニンニクスープを飲み、持ち込んだ日本食を食べ元気を補給。                   
   
同じロッチに若い男女2人が居る、男子が元気が無い、聞くと数日前から下痢がひどく食欲も無い途の事、ナムチで肉入りのモモ(水餃子)を食べて当ったようである、どうも北大地環研の学生であり、エコニクスを知っていた。細菌性の食中毒なら抗生薬を上げ様と思ったが薬の入ったバックが見当たらないどこかで忘れてきたようだ。今日は速めに寝よう、、、、
  

Posted by 走るキンサク at 14:51Comments(0)ヒマラヤゴーキョ5357m遠征報告

2008年05月31日

4/28ナムチエからモンラ(4150m)へ

朝.5時起床、何時ものとおりトイレへ調子は良い。前夜雨が激しく降り雷が鳴っていた。
脈拍は57、血中酸素83、体調は問題ないが矢張り後頭部が少し重い、この高さ3000以上で一日高度順応する予定であったが既にジョルサレ(2740m)で宿泊したので日程からその余裕は無くモンラへ向けて出発、今後これがどのような影響が出るか心配である。
昔来た懐かしい道を登り、クムジュン村へとの登り道の分岐点から山裾を平坦にトラパスしていく此処からヒマラヤ神々の山の展望が始まる、後ろにコンデ、谷向いに右手にサムセルク(m)、後ろにコンデ、左手上に聖山クンビラ(日本の金毘羅の元祖)前方にローッエ、その陰から顔を見せるサガルマーターピーク(エベレスト)、
その手前に乙女の首飾りと言われるアマダラム(m)左前方から近づいてくるタウチエ(m)、青空のキャンバスに白く輝く氷河の山々の大パノラマ、思わず手を合わせ崇める。                 そんな中を歩くが昔と比べると道は整備され歩きやすい、途中手作業で道を整備している人夫がいる、その先にお坊さんが椅子に座り寄付を懇願している、これでこの道を整えているので坊さん道路と名が付いている。私達も浄財を寄付する、、、、払わないでは通過できない雰囲気である。

更に歩くと昔、掘建て小屋のお店があったケンジョマに到着、今では綺麗なロッチとなり昔の面影は無い、此処で昼食、天気も良く暖かいので外のテーブルで前面に聳え立つサムセルクを眺めながら昼食を取る、此処からこれから先の急斜面を横切りながらの登るが続く道が見える、頑張ろう。午後の出発!山一面が石楠花、花のトンネルを潜りながら行く、途中からカラパタール(エベレストBC)と我々が行くゴーキョーの分岐点に到着、我々の道は此処から登りとなる、道案内にゴーキョまで7時間と書いてある、我々はこれから5日掛けて行くのであるが、、、これは地元シャルパの足の速度、驚く!まるで新幹線、忍者である。崖道を登るにつれて高くなり下を見ると恐ろしい。前方にこの地方最大のゴンパ(チベット寺)があるパンボチエが見える、サムセルクのか陰になっいたカンデカの姿が見えてきた、ピークは四方が氷河で完全な絶壁に囲まれた山で登れるのだろうかと思うほどである、やはり難しくアタックする人は少ないようである。
ヘリの飛ぶ音が聞こえる谷間を飛んでいる、何度も繰り返し何かを探している、救助ヘリである(日本人の救助であったが残念ながら高山病で亡くなった)、ヒマラヤ鷲も飛んでい
る。前方にタウチエが近づき迫ってくる。先の峠が今日の宿泊ロッチモンラである。
午後3時に到着、ロッチからはグルット、ヒマールが見える、しかし峠の上で風が強く寒い、4時過ぎヤクの糞燃料のストーブに火が入り体が温まる。
此処は峠の上で水が無く下から女性がポリタンで汲んでくる、水は貴重でミネラル水は高くなり1L300円(ナムチエは200円)である、我々お客3人には魔法瓶一本のお湯が割り当てでありそれ以上は有料となる。トイレは流すのではなくボットンで枯葉で覆い狭い急斜面の畑へ落とし肥料にしている。
このロッチには4、5歳の子供がおり日本から持ってきた五勝手屋の円筒羊羹より、食べ残りのケースが珍しくオモチヤにして遊んでいた。夜寒いので湯たんぽを入れる事とする、朝はその水で洗面と歯磨きに利用する。夜8時就寝。
  

Posted by 走るキンサク at 14:44Comments(0)ヒマラヤゴーキョ5357m遠征報告

2008年05月29日

4/27ジュルサレ(2740)からナムチバザール(3440)

・ 4/27 ジュルサレ(2740m)からナムチエバザール(3440m)へ
朝4時起床、何時ものようにトイレへウンコの出も良好、しかし水がタンクに無く流せない。
今日からいよいよ3000mを越える本格的な高地へ入る、脈拍54、血中酸素濃度94でベストな体調。朝食を6時に済ませ7時出発でナムチエへ昼過ぎに到着の予定である。
メンバー皆元気である、多かれ少なかれこれから色々な高地での障害が出てくる、兎に角、水を一日4.5L飲むことである、しかし高山病を軽く考えている様であまり意識して飲もうとしてない。私は食事前に紅茶をマグコップ(350cc)で2杯、味噌汁を一杯、食後日本茶を2杯飲む、これを3食繰り返し4.5L、歩きながら1L,夜500ccで合計5L以上飲むことにしている、それだけ小便の回数が多くなるがこれが効果的である。
ナムチエへ向けてここから約700mの登り出発!ロッチを出ると直ぐに吊り橋となる、15年前の木造の橋は新しく架け替えられ、途中でその残骸を何か懐かしく眺めながら渡る。

川原を歩き川岸のアップダウンを繰り返す、前方にドウドコシ川の深い渓谷が見える、その上高さ5.60mに吊り橋が掛かっている、ドウドコシ川最大の橋である。それを目指して登りが続く、ここからナムチエまで連続700mの登りであり、この高地のダメージがこの先の運命を決める、兎に角、ゆっくり、ゆっくり、先は長い、あると思うな金と親と力と言い聞かせ気持ちを抑える、これはマラソンです。橋の入り口に付く、橋を牛のキャラバンが行く、一緒には渡れない、ここではお先にどうぞと行かせる。渓谷を吹き抜ける風が強く左右に揺れている、静かに静かに、恐る恐る渡る、真中辺りでは更に風が強く帽子が飛びそう、無事に渡る、今度は急な石階段の下り、そして登り渓谷が良く見えるところで休息、一緒のSさんが昔アタックしたコスムコングラ(6367m)のピークが奇麗に見える、更に長い登りが続く、昔を思い出し懐かしんで上り続ける、SEさんが元気無い様である、矢張り高地の影響が出て来た様である、兎に角ゆっくり、行こう、、、尾根を登りきるとエベレストが最初に見えるエベレストビューに到着、ピークが見える、矢張り昔と変わってなく素晴らしい、
ここから木々に囲まれた緩やかな登り道が続く、、、昔と違い木々が生長し緑が濃く何か長閑である、ナムチの村が見えてきた、これは空気が薄く澄んでおる近くに見えるが遠いのである、そして山裾をグルット回るので距離はまだまだある、村の入口に軍のチエックゲートがありチエック、いよいよ村へ入る、ここは山の傾斜に段々畑条に家々建っている。共同の水汲み場があり多くの少女達が洗濯をしている、恐らく洗濯屋の女だろう、、、多くの洗濯物を石垣で干している、ここの水は氷河の溶けて水でありとてっも無く冷たく我々は手をつけられない、今日のロッチは眺望を考慮してここから100mほど上にあるここから更に登る、SEさんは辛そう、一歩1歩と店の路地を登り1時過ぎ到着、早速紅茶を飲み昼食、SE,HYさん伴に食欲が無い、午後は此処で休息し明日からに備える、村の前面にカンデが迫るロッチのデッキで椅子に腰掛け眺め見る、午後になり急激に気温が下がり寒くなり室内へ。
矢張りSEさんの様態が思わしくない、酸素濃度が低く酸素吸入をする、ニンニクスープが効果的と飲むんで見る、落ち着いてきたが酸素吸入を外すと苦しい様である、今夜は酸素吸入をして眠り明日大事をとり下山する事にする、ご主人のSMさんがサブガイドの付き添いで下山する事を決める、ゴーキョ行きを楽しみにしていたが矢張り奥様第一と勇気ある撤退を決断、流石に羅臼の山男である。しかし今夜の吸入の酸素が足りない、こここから更に上のホテルにあるようである、しかし使用料が高い、丁度知り合いのセルパーガイドが持っていると聞き手配する、それでも200ドルである。明日からはHY,MT,と私の3名でゴーキョーへ向かう、S夫妻とはカトマンズで再会と3の内1人でもゴーキョピーク(5360m)へ登頂してくださいと励まされ、それを誓い此処で別れる事とした、明日から更に6日間歩き2200m上がるゆっくり、ゆっくり行こう。


  

Posted by 走るキンサク at 17:02Comments(0)ヒマラヤゴーキョ5357m遠征報告