2007年11月11日
11/10.11 走る事を語る、、、春樹の本を買いに走る。
●11/11今日は1111の連続で良い良い日で何か良い事が有りそうな日。
朝N先生より℡、私にビッタリな本がある読むべきと連絡、それは村上春樹さんの新書で「走る事について語るときに僕の語ること」である、走りを語り続けている私の語りの参考にしろとの忠告であろうと買うことにした、題名からも走る金作としては走って買いに行かねばと家から5㌔先の本屋まで雨模様であるがランザックにカッパを入れ買いに走る、往復10㌔走り昼から女子駅伝も観戦しながら前書きをめくる、日頃の私の語りと良く似たことが書いてある、「痛みは避け難いが苦しみはオプションである」ああキツイ苦しいもう駄目だと感じるのは自分の受け方で裁量である、、、マラソンは心の置き所です。これから続きを読みます、矢張り良い日でした!N先生有り難うござました。
●11/10先週のラン後から右足の甲の間接に違和感がある、平日の走りを中止して足休めをしていた、まだ少し違和感があるので底の厚い靴で真駒内公園往復15㌔を走る、矢張り冬で寒くランナーは少ない、昨年は今ごろホノルルマラと東京マラを目指し目標を持っていた、来年の東京も落選でチベット旅行も終わり気が抜けている、、、何は目標を持たなければ行けない!
2007年11月11日
9/20,標高3950mの町チベットのギャンッエ
9/20ギャンツエの朝脈拍63、ラサと変わらない。朝6時であるが暗い、北京と本来は2時間の時差があり実際には朝4時である、外を見ると野良犬だけがうろっいている。
8時(実際は6時)子供たちが学校に行く(北京時間で開校)、親が子供をバイクで送る姿が見える。朝食を街の食堂でお粥に饅頭を入れ食べる。
・朝9時出発の時間になってもドライバーが来ない、どうやら昨夜飲み過ぎた様である。
ヒマラヤ山脈の北斜面を水源とするヤルッアンポ川沿いに上流へと走る、ラサからこの川沿いに懸命に植林している中国の姿勢が伺える、この国道は最近高速道に整備され快適に走る、しかし日本の一般国道レベルである、途中検問を受け昼前にチベット第二の都市シガッエ(人口周辺もいれ100万)に到着、都市開発が進められラサより活気がある、レストランも綺麗であり美味い、本来はここで一泊するはずであったがドライバーは先を行きたがりこちらの思うようにしてくれない。
この町のタルシンポ寺を息子と二人で見学、今チベットで最も活発な寺院であり約1000人の多くの僧侶が生活している。寺院は綺麗であり中国政府が10億掛けたて建立した霊塔はきらびやかに輝いていた、しかし写真撮影は約2000円取られた(とんでもなく高い!)寺院内にソラー湯沸しが多く見られる。
寺院の道路で僧侶が屈んでいる、その目つきから何か呪文でも唱えているのかと思い眺めているとそれは小便をしていたのであった、寺院の中の僧侶などの生活はのどかである。午後サキヤへ向けて走る、ランツエの手前にシチン温泉があるのでそこで入浴していく事にしたがドライバーが計画書にないとこちらの要望を受け付けない(毎朝煙草などチップ代わりやり機嫌を取っていたが)、どうもガイドよりこちらではドライバーが偉いようである、兎に角早くザンムまで行き帰りたいようでサービス精神はなくノルマを達成する事だけである。
温泉は諦めてサキヤへ向かう、山肌が泥で赤味かかった荒涼とした風景の中をはしり小さな村、標高4200mのサキヤへ到着、早速ホテルを確保してサキヤ寺を見学へ細い道を歩き山の沿うようにある北寺を上る、寺の仏像を写真に納めると坊さんが見せれと言うので見せると突然、液晶画面へ向いお経を上げだした、終えると仏をもって帰っても良いとOKが出た。更に別の寺、南寺へ、ここは城壁に囲まれた要塞のような寺である、ここサキヤ派の寺は白と黒の色彩で独特である。ここの村は流石、四輪自動車は少なく若者はオートーバイである、しかし若者は携帯は持っている、村の道は泥道でゴミ(プラ系)が散乱している。中心街の路上で立小便をしている女性の姿が見られる、子供たちは我々観光客は物をくれる人であり付きまとう、しかしその要望はお菓子類ではなくナネー、ナネーの連発、写真を取ると必ずマネーを要求する。しかし小さな子供はカメラに収まっている自分自身を見たくせがむ、10数年前までは飴等お菓子などをせがんで付きまとってきたが、今はキャッシュ、現金である長年変わらないチベット文化と現在社会が混在してそれなりの社会が形成されている。50年以上掛けて今日まで来た私の頭は切り替えができない、何か見ているだけで頭は混乱し疲れる。村の南にあるサキヤ南寺(要塞の様な城壁に囲まれている)を見学、パキスタンからチベット入りして1人で自転車旅行しているフランスの女性に会う、勇気と元気に驚かされると同時に許可書はどうしたのか?(パキスタンからは何故か入りやすいようである)。
夕食はガイドと同じカレー定食風なものを食べるどれも温くて美味くない、明日からの予定を打ち合わせ、契約と違うと説明するがドライバーがどうしても一日早く帰りたいようである、契約したラサの会社へ相談しろと言って別れる。
8時(実際は6時)子供たちが学校に行く(北京時間で開校)、親が子供をバイクで送る姿が見える。朝食を街の食堂でお粥に饅頭を入れ食べる。
・朝9時出発の時間になってもドライバーが来ない、どうやら昨夜飲み過ぎた様である。
ヒマラヤ山脈の北斜面を水源とするヤルッアンポ川沿いに上流へと走る、ラサからこの川沿いに懸命に植林している中国の姿勢が伺える、この国道は最近高速道に整備され快適に走る、しかし日本の一般国道レベルである、途中検問を受け昼前にチベット第二の都市シガッエ(人口周辺もいれ100万)に到着、都市開発が進められラサより活気がある、レストランも綺麗であり美味い、本来はここで一泊するはずであったがドライバーは先を行きたがりこちらの思うようにしてくれない。
この町のタルシンポ寺を息子と二人で見学、今チベットで最も活発な寺院であり約1000人の多くの僧侶が生活している。寺院は綺麗であり中国政府が10億掛けたて建立した霊塔はきらびやかに輝いていた、しかし写真撮影は約2000円取られた(とんでもなく高い!)寺院内にソラー湯沸しが多く見られる。
寺院の道路で僧侶が屈んでいる、その目つきから何か呪文でも唱えているのかと思い眺めているとそれは小便をしていたのであった、寺院の中の僧侶などの生活はのどかである。午後サキヤへ向けて走る、ランツエの手前にシチン温泉があるのでそこで入浴していく事にしたがドライバーが計画書にないとこちらの要望を受け付けない(毎朝煙草などチップ代わりやり機嫌を取っていたが)、どうもガイドよりこちらではドライバーが偉いようである、兎に角早くザンムまで行き帰りたいようでサービス精神はなくノルマを達成する事だけである。
温泉は諦めてサキヤへ向かう、山肌が泥で赤味かかった荒涼とした風景の中をはしり小さな村、標高4200mのサキヤへ到着、早速ホテルを確保してサキヤ寺を見学へ細い道を歩き山の沿うようにある北寺を上る、寺の仏像を写真に納めると坊さんが見せれと言うので見せると突然、液晶画面へ向いお経を上げだした、終えると仏をもって帰っても良いとOKが出た。更に別の寺、南寺へ、ここは城壁に囲まれた要塞のような寺である、ここサキヤ派の寺は白と黒の色彩で独特である。ここの村は流石、四輪自動車は少なく若者はオートーバイである、しかし若者は携帯は持っている、村の道は泥道でゴミ(プラ系)が散乱している。中心街の路上で立小便をしている女性の姿が見られる、子供たちは我々観光客は物をくれる人であり付きまとう、しかしその要望はお菓子類ではなくナネー、ナネーの連発、写真を取ると必ずマネーを要求する。しかし小さな子供はカメラに収まっている自分自身を見たくせがむ、10数年前までは飴等お菓子などをせがんで付きまとってきたが、今はキャッシュ、現金である長年変わらないチベット文化と現在社会が混在してそれなりの社会が形成されている。50年以上掛けて今日まで来た私の頭は切り替えができない、何か見ているだけで頭は混乱し疲れる。村の南にあるサキヤ南寺(要塞の様な城壁に囲まれている)を見学、パキスタンからチベット入りして1人で自転車旅行しているフランスの女性に会う、勇気と元気に驚かされると同時に許可書はどうしたのか?(パキスタンからは何故か入りやすいようである)。
夕食はガイドと同じカレー定食風なものを食べるどれも温くて美味くない、明日からの予定を打ち合わせ、契約と違うと説明するがドライバーがどうしても一日早く帰りたいようである、契約したラサの会社へ相談しろと言って別れる。