2007年11月23日
村上春樹「走ることについて語るとき、、、」を読んで走る語り。
●11/23
朝起きたら一面真っ白、10センチは積り今日の走りを室内走か、いや外かと戸惑う。先週は銀杏の落ち葉一面の黄色い柔らかい絨毯の上を駆けた、今年初めての純白の新雪を走ろう、夏眠させていたスノートレシューズを出して円山公園一周からモイワロープウエーの10㌔コースを走る。朝は特に寒い、クロカンスキ-ウエアーを着て足元に気を付けながらゆっくりと走り身体をアイドリング、新雪が靴のそこにへばり付く、北風が顔を叩く、朝の寝ボケが目を覚ます、ウインドブレカーのファースナーの間からの風が胸の中心から一直線に冷やす、まだこの寒さには身体は慣れてなく驚いている。公園に入る頃には朝日が輝き身体も温まり、落ち葉の上に積もった新雪が更に柔らかく靴底を包むようで優しさと清清しさを感じる。昨夜読み上げた村上春樹さんの本「僕の走るを語る、、、」を思い出しながら、、、、サロマ100を完走したのは私と同じ第11回大会の96年度で一緒だったとは驚き、彼は11:43、私は12:05で23分の遅れてであるが何処で抜かれたのか、その後のサロマの勝敗はと考えたが彼はサロマの神に恐れを成したのか参加してない、今だ50代後半で若いはずだが、、、しかし60歳に迫ってきた06年「8章死ぬまで18歳」、07年「9章少なくても最後まで歩かなかった」はマラソン哲学に味が出てきたように感じる。
村上さんから私に貴方は何故走るのかと聞かれたら何と返答するだろうか、、、
寒風が突然顔を叩き、如何ですか!と声をかけられたように感じ慌てて考える。
私は、何故走るのか今までも考えた事があったが、65歳の今、走りの足跡をたどり考えながら走る、、、結局私にとり走りは人生であり、生きること、挑戦、冒険であり、生きてる証だと思う、しかし今日のランの1時間程度で結論を出すには軽率と思う、今一度じっくり考えてみよう。
今月122キロ・・・春樹さん蝦夷ランナーは雪の中も走ります。
朝起きたら一面真っ白、10センチは積り今日の走りを室内走か、いや外かと戸惑う。先週は銀杏の落ち葉一面の黄色い柔らかい絨毯の上を駆けた、今年初めての純白の新雪を走ろう、夏眠させていたスノートレシューズを出して円山公園一周からモイワロープウエーの10㌔コースを走る。朝は特に寒い、クロカンスキ-ウエアーを着て足元に気を付けながらゆっくりと走り身体をアイドリング、新雪が靴のそこにへばり付く、北風が顔を叩く、朝の寝ボケが目を覚ます、ウインドブレカーのファースナーの間からの風が胸の中心から一直線に冷やす、まだこの寒さには身体は慣れてなく驚いている。公園に入る頃には朝日が輝き身体も温まり、落ち葉の上に積もった新雪が更に柔らかく靴底を包むようで優しさと清清しさを感じる。昨夜読み上げた村上春樹さんの本「僕の走るを語る、、、」を思い出しながら、、、、サロマ100を完走したのは私と同じ第11回大会の96年度で一緒だったとは驚き、彼は11:43、私は12:05で23分の遅れてであるが何処で抜かれたのか、その後のサロマの勝敗はと考えたが彼はサロマの神に恐れを成したのか参加してない、今だ50代後半で若いはずだが、、、しかし60歳に迫ってきた06年「8章死ぬまで18歳」、07年「9章少なくても最後まで歩かなかった」はマラソン哲学に味が出てきたように感じる。
村上さんから私に貴方は何故走るのかと聞かれたら何と返答するだろうか、、、
寒風が突然顔を叩き、如何ですか!と声をかけられたように感じ慌てて考える。
私は、何故走るのか今までも考えた事があったが、65歳の今、走りの足跡をたどり考えながら走る、、、結局私にとり走りは人生であり、生きること、挑戦、冒険であり、生きてる証だと思う、しかし今日のランの1時間程度で結論を出すには軽率と思う、今一度じっくり考えてみよう。
今月122キロ・・・春樹さん蝦夷ランナーは雪の中も走ります。