さぽろぐ

スポーツ  |札幌市中央区

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プロフィール
走るキンサク
走るキンサク
 氏名    橋    金作
        走 る キンサク(76歳)

●主な役職
株式会社エコニクス創業相談役
㈱沿海調査エンジニヤリング相談役、 
(財)電気保安協会 理事、
(元)北海道経済連合会常任理事
●趣味スポーツ歴
・日本海沿岸走5800㌔走破
 北海道沿岸道3000㌔走破、
 青森竜飛岬から青森・秋田・山形・新潟・富山・石川・福井・京都・兵庫・鳥取・島根・山 口・福岡・佐賀・長崎県野母崎の日本海沿岸2800㌔走破、九州最南端佐多岬ヘ、青森大間崎から太平洋沿岸久慈海女ちゃん小袖浜へ更に陸奥海岸復興視察ランで女川へ
・サロマ100㌔ウルトラマラソン4回完走、
・札幌スキーマラソン50キロ15回完走、
・オホーック85㌔スキーマラソン11回完走、
・ヒマラヤ カラパタール5545m、ゴーキョピーク5357m登頂。
・エベレストBCへ2度(チベット側チョロランマ、ネパール側サガールマーター)
・国際潜水教師協会理事(NAUI)元インストラクターDr、
・他に北海道、東京、ホノルル、洞爺、千歳、網走等のフル、利尻一周55㌔マラソン等など完走、自転車、水泳、カヌーなど
平成 2018年 3月 現在
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2007年11月25日

9/22チョロランマ8848mBCへ

●9/22テンリーからチョロランマBCへ
脈拍59、ここ4200mでの高地での順応はOKで息苦しさ頭痛も立眩みもない。
ここ数日は日記を書くのが億劫になり思考力が低下しているのを感じていたが今日は朝早くから書くことができる。ほぼ完全に高地に慣れてきたのがわかり安心、いよいよ今日BC5200mへ行き宿泊するのが楽しみである。今回の旅の最大の目的はチョロランマBCでヒマラヤ氷河の現状観察であるが、もうひとつは息子の人生教育「真の自分とは?、人生とは?」を語り合い考えさせる機会と時間をつくることであり、不肖の孫悟空へ旅を通して生き方を教える三蔵法師、走る金作である・・・・これに適した最高の場、チモランマ眼下で「心も肉体も自分自身ではない、自分と思っている心は、思い考え運動機能であり肉体を感じるところである。心の思考機能、と肉体の運動機能を意識しコントロールする不屈の力を備えた己、魂が真の自分である。」これを語り人生観を確立してやろうと今朝暗いうちから思案する、これもチベット仏教の影響か、、、、
空はあくまでも青く、山肌は赤茶、青と赤茶の見事なコントラスの荒野をテンリーからネパールへの国道を5kmほど走りチョモランマへの道を左折、少し行くと中国軍の厳重なゲート、全員降り事務所へ、一人ずつパスポート、許可書のチエック、車の窓ガラスがきれいでなければ通過させてくれないのでドライバーは真剣に窓をふく(国境警備兵が遠くからでも車内が見えるよう)車のチエックもOKで通過許可がでる、ここから最後の峠をめざす、小さな部落のゲートが更に有り、ここでチョモランマへ入るチケットを出し通過、車は土埃を舞いあげ唸るように峠へのスネークロードを曲がり続けながら登る、勿論砂利道であり算盤の上を走っているような懐かしい道である、これでも最近整備された道のようですぐ脇に昔の道があり更に厳しい悪路で有った事を想像させられ文句は言わないで感謝する、さすがに日本のトヨタランドクルーザー4500ccである、振り返ると遠くに青空の荒野に来た道をなぞるように土埃の茶色の一筆書きの龍が描かれていた。赤茶けた峠が地近づいてきたしかし更に上に道がある、マラソンで峠を越える時もあの上りの先に、いやあのカーブの先にと思い走っていたことを思い出す、峠からのチョロランマの雄峰はどんな姿だろうと焦る、ジープは唸る、峠の頂上へ登り切る車の鼓動が伝わる、前方一面が一瞬、青い空に変わる、登り切った、全面中央にチョモランマ、右にチョオユー、シシヤパンマ、左にマカール、ローツエ世界8000mの雄峰13座の5座が微笑んでいる、車から降りて歩きたいが急には動けない、少し馴らして周辺を散策、兎に角5000mではゆっくり、、、ゆっくりが肝心。しばし山々を呆然として眺めていたら息子が時間だと知らせに来た、、、ドライバーが急かせているようだ。ここから一機に峠のスネークロードを下り数件の食堂があるタジソン部落へ、丁度ここ辺りが昼ごろになりこの先には食事ができる所はないのでで昼食をとる、バター茶を飲み高地に備える、暖かい事を期待して麺類を注文する、矢張り温い、トイレへを探すが見当たらない、案内されたところに梯子がありそれを登る、屋上に小屋があり中へ穴が2箇所あり側に土が盛られている、用を足し備え付けのスコップで土を被せる、確かに臭くない土の消臭力は凄い、勿論この屋上には水は無い。
この部落は数件の食堂がある小さい部落であるが、携帯電話(中国)は通じ多くの人が利用している、ガイドがこの食堂に電話を忘れ蒼くなって引き返した、しかし無事有ったので皆で安堵した。
生活用品を満載にした大型トラックが止まっている、この峠を越えて来たと思うと恐ろしさを感じる、ここから先は我々の行くBCでありこんなに多くの物は必要としないはずである、しかしここから別れネパールナムチエ村(ヒマラヤシエルパの村、カトマンズから約10日かかる)へ徒歩でヒマラヤを越えして担ぎ上げる闇ルートチベット側の最後の部落まで運ぶトラックの様である。チョモランマ氷河から流れる川沿いに道を登る、ここあたりはグーグルアースで眺めていたので道筋がわかり衛星の凄さに驚く、突然目の前に8848mのチョロランマの全容が午後の西日を浴びてか輝いている、それに向いどんどん車が走る刻一刻と近づき3000数百mのほぼ垂直に見える白く輝く氷河が迫る。世界で最も高いところにあるお寺ロンボク寺(5000m)を横目に更にBCへ向けて登る、ベースキャンプの3㌔は手前の道路の両脇にそれぞれがホテルと看板を掲げたチベットテント(夏から10月中まで)が数十軒、軒を連ねている
ここが今夜の宿泊テントである早速、物色をして寝床を確保する、表は汚く掘立て小屋の様であるが中はチベット式の雑魚寝ドミトリーで綺麗である、
電灯は無くに日中のソーラーパネルで充電して夜蛍光灯を灯す、暖房はヤクの糞を乾燥させ崩した紛を燃やす、子供の頃の粉炭ストーブであり懐かしい、これで食事の支度もする。トイレは共同でありブルーシートで囲まれているが、川の上に板を引きその板の間で用を足す、5列ぐらいの穴があるが只床に空いている、丁度釣り橋の上で用を足す、揺れて恐ろしい、そして夜は電気も無く暗く、落ちそうになり恐ろしく揺れの少ない一番端で済ませた、それは恐ろしい、恐怖である。むしろ野外の岩陰の方が安全であるが、罰金、10元の看板がある。ここからBCへは車は入れない、チベットの地元へお金を落とさせる観光振興策で馬車の利用である。何台もの馬車が待機して客引きをしている、料金は1人往復80元、馬車追いの親父は観光ずれして中々であり帰りの時間を指定して彼らの都合の良いロテーションでこちらの要望を聞かない、途中まで馬車に親父も乗っていたが流石登りとなり馬と一緒に歩き出した、氷河が押し出した岩石の山モーレンを登りBCへ3㌔と聞いていたがそれは直線距離であり焼く5㌔あり一時間ほどかかり、中国軍の旗がなびくBCへ到着、ここから更に徒歩で歩く、遠吠えが聞こえる、狼である、中国の兵隊が銃を持ち警戒する、幾ら見ていても飽きない、北西壁でありに夕方の赤みを帯びた西日が全体を照らし3000数百mのとてつもなく大きな氷河の壁、ピークはニッコリと笑う神の顔の様である、只呆然と立ちすくみ拝みたくなる。この90度裏にある14年前のネパールの南西壁を思い出す、写真右が93年サガルマーター(ネパールの呼び名千人が亡くなる被害が出ているようで、雨が多ければヒマラヤは氷河が発達するのが理解できる、チョモランマピークからここBCまで富士山の高さと同じ、真白い氷の壁である。
もはや帰りの馬車が迎えが来る時間である、残念であるが戻らなければ、馬車が既に待っていた、帰りは下りで早い、途中急に雲が出てきて温度が下がり霙となる、テントに近くまで下がると晴れてきた、更にテント前から暗くなるまで雄峰を眺めていた、素晴らしい、もうに一泊したいくらいである、
夜、食事のメニユーが出されるがどれも高地障害もあり食欲が湧かない、
ここで日本から持ち込んだレトルトのお粥と卵スープ、それとシバ漬け、ホタテの貝柱、を食べることにする、貝柱をチベットの人々へもお裾分け、彼らには中国料理の高級食材である事は分かっていない様で喜ばない。
矢張り我々最後の切り札日本食で元気を整える、ここの高地はチベットのガイドも頭痛がするらしく私が飲んでるサプリとラサで買ってきた高原薬を欲しがる、残り少なくなっていたが分けてやる。食後何もする事は無く早々と寝る支度をする、寝厚いウンモウの袋で暖かい快適、寒いのではと心配していたが全く心配は要らない。早く眠る・・・・・  

Posted by 走るキンサク at 19:51Comments(0)走る金作チベツトを行く西遊記