2008年05月29日
4/27ジュルサレ(2740)からナムチバザール(3440)
・ 4/27 ジュルサレ(2740m)からナムチエバザール(3440m)へ
朝4時起床、何時ものようにトイレへウンコの出も良好、しかし水がタンクに無く流せない。
今日からいよいよ3000mを越える本格的な高地へ入る、脈拍54、血中酸素濃度94でベストな体調。朝食を6時に済ませ7時出発でナムチエへ昼過ぎに到着の予定である。
メンバー皆元気である、多かれ少なかれこれから色々な高地での障害が出てくる、兎に角、水を一日4.5L飲むことである、しかし高山病を軽く考えている様であまり意識して飲もうとしてない。私は食事前に紅茶をマグコップ(350cc)で2杯、味噌汁を一杯、食後日本茶を2杯飲む、これを3食繰り返し4.5L、歩きながら1L,夜500ccで合計5L以上飲むことにしている、それだけ小便の回数が多くなるがこれが効果的である。
ナムチエへ向けてここから約700mの登り出発!ロッチを出ると直ぐに吊り橋となる、15年前の木造の橋は新しく架け替えられ、途中でその残骸を何か懐かしく眺めながら渡る。
川原を歩き川岸のアップダウンを繰り返す、前方にドウドコシ川の深い渓谷が見える、その上高さ5.60mに吊り橋が掛かっている、ドウドコシ川最大の橋である。それを目指して登りが続く、ここからナムチエまで連続700mの登りであり、この高地のダメージがこの先の運命を決める、兎に角、ゆっくり、ゆっくり、先は長い、あると思うな金と親と力と言い聞かせ気持ちを抑える、これはマラソンです。橋の入り口に付く、橋を牛のキャラバンが行く、一緒には渡れない、ここではお先にどうぞと行かせる。渓谷を吹き抜ける風が強く左右に揺れている、静かに静かに、恐る恐る渡る、真中辺りでは更に風が強く帽子が飛びそう、無事に渡る、今度は急な石階段の下り、そして登り渓谷が良く見えるところで休息、一緒のSさんが昔アタックしたコスムコングラ(6367m)のピークが奇麗に見える、更に長い登りが続く、昔を思い出し懐かしんで上り続ける、SEさんが元気無い様である、矢張り高地の影響が出て来た様である、兎に角ゆっくり、行こう、、、尾根を登りきるとエベレストが最初に見えるエベレストビューに到着、ピークが見える、矢張り昔と変わってなく素晴らしい、
ここから木々に囲まれた緩やかな登り道が続く、、、昔と違い木々が生長し緑が濃く何か長閑である、ナムチの村が見えてきた、これは空気が薄く澄んでおる近くに見えるが遠いのである、そして山裾をグルット回るので距離はまだまだある、村の入口に軍のチエックゲートがありチエック、いよいよ村へ入る、ここは山の傾斜に段々畑条に家々建っている。共同の水汲み場があり多くの少女達が洗濯をしている、恐らく洗濯屋の女だろう、、、多くの洗濯物を石垣で干している、ここの水は氷河の溶けて水でありとてっも無く冷たく我々は手をつけられない、今日のロッチは眺望を考慮してここから100mほど上にあるここから更に登る、SEさんは辛そう、一歩1歩と店の路地を登り1時過ぎ到着、早速紅茶を飲み昼食、SE,HYさん伴に食欲が無い、午後は此処で休息し明日からに備える、村の前面にカンデが迫るロッチのデッキで椅子に腰掛け眺め見る、午後になり急激に気温が下がり寒くなり室内へ。
矢張りSEさんの様態が思わしくない、酸素濃度が低く酸素吸入をする、ニンニクスープが効果的と飲むんで見る、落ち着いてきたが酸素吸入を外すと苦しい様である、今夜は酸素吸入をして眠り明日大事をとり下山する事にする、ご主人のSMさんがサブガイドの付き添いで下山する事を決める、ゴーキョ行きを楽しみにしていたが矢張り奥様第一と勇気ある撤退を決断、流石に羅臼の山男である。しかし今夜の吸入の酸素が足りない、こここから更に上のホテルにあるようである、しかし使用料が高い、丁度知り合いのセルパーガイドが持っていると聞き手配する、それでも200ドルである。明日からはHY,MT,と私の3名でゴーキョーへ向かう、S夫妻とはカトマンズで再会と3の内1人でもゴーキョピーク(5360m)へ登頂してくださいと励まされ、それを誓い此処で別れる事とした、明日から更に6日間歩き2200m上がるゆっくり、ゆっくり行こう。
朝4時起床、何時ものようにトイレへウンコの出も良好、しかし水がタンクに無く流せない。
今日からいよいよ3000mを越える本格的な高地へ入る、脈拍54、血中酸素濃度94でベストな体調。朝食を6時に済ませ7時出発でナムチエへ昼過ぎに到着の予定である。
メンバー皆元気である、多かれ少なかれこれから色々な高地での障害が出てくる、兎に角、水を一日4.5L飲むことである、しかし高山病を軽く考えている様であまり意識して飲もうとしてない。私は食事前に紅茶をマグコップ(350cc)で2杯、味噌汁を一杯、食後日本茶を2杯飲む、これを3食繰り返し4.5L、歩きながら1L,夜500ccで合計5L以上飲むことにしている、それだけ小便の回数が多くなるがこれが効果的である。
ナムチエへ向けてここから約700mの登り出発!ロッチを出ると直ぐに吊り橋となる、15年前の木造の橋は新しく架け替えられ、途中でその残骸を何か懐かしく眺めながら渡る。
川原を歩き川岸のアップダウンを繰り返す、前方にドウドコシ川の深い渓谷が見える、その上高さ5.60mに吊り橋が掛かっている、ドウドコシ川最大の橋である。それを目指して登りが続く、ここからナムチエまで連続700mの登りであり、この高地のダメージがこの先の運命を決める、兎に角、ゆっくり、ゆっくり、先は長い、あると思うな金と親と力と言い聞かせ気持ちを抑える、これはマラソンです。橋の入り口に付く、橋を牛のキャラバンが行く、一緒には渡れない、ここではお先にどうぞと行かせる。渓谷を吹き抜ける風が強く左右に揺れている、静かに静かに、恐る恐る渡る、真中辺りでは更に風が強く帽子が飛びそう、無事に渡る、今度は急な石階段の下り、そして登り渓谷が良く見えるところで休息、一緒のSさんが昔アタックしたコスムコングラ(6367m)のピークが奇麗に見える、更に長い登りが続く、昔を思い出し懐かしんで上り続ける、SEさんが元気無い様である、矢張り高地の影響が出て来た様である、兎に角ゆっくり、行こう、、、尾根を登りきるとエベレストが最初に見えるエベレストビューに到着、ピークが見える、矢張り昔と変わってなく素晴らしい、
ここから木々に囲まれた緩やかな登り道が続く、、、昔と違い木々が生長し緑が濃く何か長閑である、ナムチの村が見えてきた、これは空気が薄く澄んでおる近くに見えるが遠いのである、そして山裾をグルット回るので距離はまだまだある、村の入口に軍のチエックゲートがありチエック、いよいよ村へ入る、ここは山の傾斜に段々畑条に家々建っている。共同の水汲み場があり多くの少女達が洗濯をしている、恐らく洗濯屋の女だろう、、、多くの洗濯物を石垣で干している、ここの水は氷河の溶けて水でありとてっも無く冷たく我々は手をつけられない、今日のロッチは眺望を考慮してここから100mほど上にあるここから更に登る、SEさんは辛そう、一歩1歩と店の路地を登り1時過ぎ到着、早速紅茶を飲み昼食、SE,HYさん伴に食欲が無い、午後は此処で休息し明日からに備える、村の前面にカンデが迫るロッチのデッキで椅子に腰掛け眺め見る、午後になり急激に気温が下がり寒くなり室内へ。
矢張りSEさんの様態が思わしくない、酸素濃度が低く酸素吸入をする、ニンニクスープが効果的と飲むんで見る、落ち着いてきたが酸素吸入を外すと苦しい様である、今夜は酸素吸入をして眠り明日大事をとり下山する事にする、ご主人のSMさんがサブガイドの付き添いで下山する事を決める、ゴーキョ行きを楽しみにしていたが矢張り奥様第一と勇気ある撤退を決断、流石に羅臼の山男である。しかし今夜の吸入の酸素が足りない、こここから更に上のホテルにあるようである、しかし使用料が高い、丁度知り合いのセルパーガイドが持っていると聞き手配する、それでも200ドルである。明日からはHY,MT,と私の3名でゴーキョーへ向かう、S夫妻とはカトマンズで再会と3の内1人でもゴーキョピーク(5360m)へ登頂してくださいと励まされ、それを誓い此処で別れる事とした、明日から更に6日間歩き2200m上がるゆっくり、ゆっくり行こう。