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スポーツ  |札幌市中央区

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プロフィール
走るキンサク
走るキンサク
 氏名    橋    金作
        走 る キンサク(76歳)

●主な役職
株式会社エコニクス創業相談役
㈱沿海調査エンジニヤリング相談役、 
(財)電気保安協会 理事、
(元)北海道経済連合会常任理事
●趣味スポーツ歴
・日本海沿岸走5800㌔走破
 北海道沿岸道3000㌔走破、
 青森竜飛岬から青森・秋田・山形・新潟・富山・石川・福井・京都・兵庫・鳥取・島根・山 口・福岡・佐賀・長崎県野母崎の日本海沿岸2800㌔走破、九州最南端佐多岬ヘ、青森大間崎から太平洋沿岸久慈海女ちゃん小袖浜へ更に陸奥海岸復興視察ランで女川へ
・サロマ100㌔ウルトラマラソン4回完走、
・札幌スキーマラソン50キロ15回完走、
・オホーック85㌔スキーマラソン11回完走、
・ヒマラヤ カラパタール5545m、ゴーキョピーク5357m登頂。
・エベレストBCへ2度(チベット側チョロランマ、ネパール側サガールマーター)
・国際潜水教師協会理事(NAUI)元インストラクターDr、
・他に北海道、東京、ホノルル、洞爺、千歳、網走等のフル、利尻一周55㌔マラソン等など完走、自転車、水泳、カヌーなど
平成 2018年 3月 現在
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2008年06月29日

5/4俗世へ向けての下山マッセルモからケンジョマ

●5/4俗世へ向けての下山マッセルモからケンジョマ
今朝のマッセルモは特に寒い昨夜雨が降ったが山は雪であったようで今朝の山々は一段と白く、朝日があたり輝いている、登頂しなければとの緊張感もなく更に高度を1000mも下がった事から体が軽い、HYさんも今朝は顔もすっきりしており快調の様である、顔を洗いに外へ出るが寒い、岩を触ると手が凍り付いて離れない、今朝はマイナス10℃以下であろう。
今日は昇りで2日かけて来たケンジョマ(タムセルクビューのナムチエの近く)までモンラ峠で昼食を取り約1000mを一日で降りる。この行程はアップダウンのきっい道程である、特にポルッテンガからモンラまで300mの登りは苦しい、、来る時の急な下りで想像が付く。昼食は午後1時過ぎになるので日本から持って来たレトルトのお粥をザックに入れる。
出発、ここは盆地の中にあるロッチであり直ぐに急な長い登りである、まだ身体が温まっていないので堪える、、、更に下がるとなると高度障害は無いのでガイドセルパーの歩く速度は倍以上になる、展望の良い尾根に登ると今度は長い下りが続くである、私の足は走りに鍛えてあるので山の下りは苦手であり岩に足が引っかかり転びそうになり恐ろしい、、、HYさんは日本100名山の内88山を踏破した山のベテランであり早い、MTも山女で早い、付いて行こうとするが足が伴わない。ドードコシ川岸のポルテテンガに昼頃到着ここから300mの登りである、休息を取りお粥を探すが見つからない、、、どうした事か、、、飴玉を舐めり登りへ向かう、、来た時も急だと思って降りてきたが兎に角急である。
皆に付いて行く事ができない、途中からどうも腹が減りすぎて身体が動かない、、、ガス欠である。皆を先に行かせ何かを食べなければとザックからチーズとカンパンを出して食べる、このエネルギーで一気に登ろう!、峠のチョルテンが見えてきた最後の頑張りだ!、、午後1時過ぎモンラに到着。
来る時宿泊したロッチで昼食、若いお母さんが赤ちゃんを連れて数人集まっている、今日はこの近くの赤ちゃんの予防接種の日である。
赤ちゃんにオッパイを上げている、、乳房がモロ見えである、、、ふくよかな真白の肌のオッパイ、、、こんなの見るのは久しぶり、唾を飲み込む、、、どうも高度が下がり俗欲が出てきたようだ、、、お酒も色気も此処10日以上高度で無く仙人の様であったが今度は俗人の危ない人である。ここからはケンジョマまでは山裾をトラパスしての緩い下りである、来る時の石楠花が満開で私たちを迎えてくれた。午後3時過ぎに到着、、ここはサムセルクの最高の展望であるが夕方は雲が出てきており見えない。
午後3時過ぎに到着、、ここはサムセルクの最高の展望であるが夕方は雲が出てきており見えない。この辺りでは大変奇麗なロッチであり、朝パンを焼いて売っており電子レンジで温めてくれる、値段は日本と殆ど同じであり驚くほど高く先進諸国のトレッカーむきである。
早速、汗で汚れた顔を洗いたく洗面所を探す、トイレにある説明、トイレに行くそこには用を足すのにタンクに貯めてある水がある、、、流石の私も臭いトイレでこれでは洗う気持ちにはなれない、、、戻りHYさんに尋ねると同じく洗えなかったとのこと。
韓国のチームが数十人同じく宿泊している、相当のベテランらしくしつこく語る、、、食事を見ていると食材から食器の果てまで韓国からの持込である、これなら元気も出る、、、流石、、、しかし数人は具合が悪そうである。
こちらは快調で元気一杯、、、一杯飲みたい、、、しかしここはまだ3500m以上明日まで我慢しよう。





  

Posted by 走るキンサク at 11:02Comments(0)ヒマラヤゴーキョ5357m遠征報告

2008年06月29日

6/28 来年のサロマへ向けての走り始め

●6/28来年のサロマへ向けての走り始め
先週日曜日サロマ約80キロ未完走では、完走した昨年より筋肉痛も少なく肉体的なダメージはそれ程ではないのですが、振り返ると60㌔での気の緩みが失敗の原因でその悔しさから精神的なショックで走る気持ちになれませんでした。忘れてきたメダルを取り戻すのは、矢張り今から気合を入れて(一年前はサロマ定年と決め走る気持ちはなかった。)走り込みをする事ととして来年のサロマ完走へ向けて走る、サロマ100の道です。、今日夕方真駒内公園折り返し15㌔走る、夕方でも日差しが強く今年何時も雨、寒いなどの連続でしたので嬉しいやら、また暑いやらでした、故障も無くダメージは有りません。
今月151㌔
  

2008年06月26日

5/3 ゴーキョピーク5357m登頂

5/3ゴーキョピーク登頂(5357m)
朝4時起床、ゴーキョの朝は寒い、早速食事を済ませ6時から登り始め昼までに戻り、ここで昼食をしてマッチャルモまで下がる。HYさんは残念であるが勇気ある撤退で午前中にマッチャルモまで下山して夕方我々と合流する事にした。
登りの道が見えるがカラパタール(15年前登頂)よりもとてつもなく急である、
昔苦しんだ事を思い出し覚悟を決め登る、シエルパが心配して二人のカメラ(一眼レフ)、水、ザックなど全ての荷物を持ってくれる、、、大名登山である。多少躊躇いがあるが空気が下界の半分であり素直にお願いする。
一段とゆっくり、ゆっくりと登り始める、、、ゴーキョの湖が素晴らしい、、、
チョウオーの南に広がるゴジュンバ氷河、エベレストからのクンブ氷河より大きい、年々この巾は広がりを見せておりゴーキョは何れ氷河で削り取られる無くなるそうである。朝気温が低くチベットとの国境のエベレスト山群は曇っておりピークは見渡せない、、きっとゴーキョピークにたどり着く頃には晴れるだろう。
何度も休憩を取り登る、MTがトイレタイムを要望、、、ここは大きな岩も無く隠れるところが無い、道から外れる場所を探している、落ちるのではないかと心配、、危ない。用を足したところで他のトレッカーがそこに現れる、、、もう少しで出会うところであった、、、危なかったと叫んでいる。上の方に山頂のチョルテンが幽かに見える、、、あそこまでか、、、近くに見えるがこれが遠く苦しいのである、、、、必ずその前に最後の急な難所があるはずと言い聞かせ体力を残しながらゆっくり、ゆっくりと、、、ピークは近いチョルテンが見える、ここから一気に登り切る!9時30分登頂、私達二人をヒマラヤ岩ひばりが迎えてくれた。苦しさを覚悟をしていたことから15年前のカラパタールより楽であった。

ここ山頂は狭く大きな岩がゴロゴロあり腰を降ろせるところが少ない、空気も薄くふら付いており岩の上を歩くのが難しい、、、矢張りここで転んでしまい、滑落の危険でポーターが私を抑える、、、助かった!有り難う。
ここは晴れているが残念ながら東にあるエベレスト山群は晴れない、ピークの良い顔を見せてはくれない。晴れていればゴーキョピークから見える予定の大パノラマ左から右へを紹介します、、、こんなはずでしたが(絵葉書からコピー)
午後は雲が出ると下山、、、しかし急な下りはふら付く足には危険である、慎重に慎重に下る、、、、昼過ぎにゴーキョのロッチに到着、昼食を取る、MTが何時もの食欲が無い、、、どうしたことか高度を下げると元気がなくなるようで矢張り雪女のようである。曇りはじめ急激に気温が下がる、そして雨が降ってきた。ここからの下りは雨の中である、、ピークから早めに下山して良かった、、、
空気が濃くなり下りは楽であり歩く速度が段々と速くなる。途中から雨も止み夕方3時過ぎにマッセルモへ到着してHYさんと合流、、夕食は最後の日本食、親子丼振りである、、しかし思ったより美味くない、、、矢張り「佐藤のご飯」は100度で煮ないと駄目である、しかし1000m下がった事から身体は楽である。不調で登頂できなかった仲間の分も合わせ登頂しここまで戻れた、、これで安心皆さんお疲れ様でした。ここで乾杯といきたいところですが後2日パクデンまで2000m下がるまでお預けです。



  

Posted by 走るキンサク at 13:51Comments(0)ヒマラヤゴーキョ5357m遠征報告

2008年06月26日

08年度サロマ100マラソン屈辱の涙

2008年サロマ100㌔屈辱涙の感走

3年間敗北の連続であったサロマ100㌔昨年65歳で完走、これを期にサロマ100定年と決め今年から応援サポーターに努めることとしたが人に勧めた関係と甥っ子が参加の伴走などで止める訳にいかなく参加しました。最も走りこみが必要な4月.5月が走れなく完走は難しいと考えておりましたが、ヒマラヤでの高地生活で落とした体重減が効き調子が良く天候さえ味方してくれれば完走と密かに思って参加。
6/22前日夜、昨年までは連続の屈辱感で何としても完走しなければならないとのプレッシャーと緊張感で興奮していたが、それも無く8時に寝つき、翌日3時まで熟睡。
朝3時起き、天気予報の通り曇り霧雨で気温9℃寒い、日中気温が上がるのではと心配し半袖ポロシャッとショートタイツにゴミ袋を被りスタートへ立つ、寒いが暑いより良い、女神は味方してくれた、、、5時スタートの号砲、最初は焦らず引っ張られぬ様マイペースでゆっくり行く、42キロまでは1㌔7分、其処から先のアップダウンは7分30秒、55㌔の緑館レストハウス午前11:30着き35分に出てその後㌔7分30から8分で70㌔関門は13:40着その後8分未満で走り80キロを関門時間の数分前に通過し残り20㌔を㌔8分30秒で行けば12時間50分で完走の計画を頭に、叉計画書である設計図を腰にぶら下げスタート!
10、20、30㌔と計画どおり㌔7分、、、甥っ子のKKも順調、しかし北東の風が冷たく向かい風ではショートタイツは膝が冷え何かガクガクする、、向かい風で少し遅れFMアップルのN社長に追いつかれる、、、お話しながら伴走、、その後置かれるがマイペース、、、マイペースで40㌔計画より1分ほど遅れるが42.195㌔のフル地点で取り戻し作戦どおり、、その先でN社長に追い付くが叉置かれる、、、この先から長い緩やかな登りが続く、例年ここは内陸部に入り気温が高くなる、、、今年も少し高い、、、後ろに付いてくるよう指示していた甥のKK君は力を余してイライラしている、、、ここで開放してやろう、、、これから先は長い「有ると思うな親と金、そして力」大事に使えと先を行かせる。ここ辺りは上りが続く事から㌔30秒遅れの計画である、大きな登りを超え下り、その先の登り始めが50㌔、ここから先5㌔が完走を左右する55㌔(実際には54.6㌔)の緑館、ここに11時30分に付ければ完走の目処を立てることができる、順調に走る、、、11:28分到着、、ここで休憩と着替えであるが35分には発たなければならない、給食を少し取り35分に出る、これで70キロは13:45分の関門には間に合うと喜びを胸に完走を確信する、、60㌔12:25分着の予定が16分着である、、、安堵、、、余裕である。
ここでストレッチを充分に行い後から来たN社長と雑談、、、気がつくと25分になっている、、焦り走る、、これから叉登りと下りがあるが㌔7分30で行けば13:40に付ける、、、平坦道は㌔7分で行けば35分には付けると走る、、、寒さからか少し前から時折小便がしたくなる、、、道はずれで用を足すが少ししか出ない、残尿感がある色が赤茶色である、、、気になるが走る、、、頑張る、、、しかし時計を見ると㌔7分30秒、例年より遅い走れない、、13:40に70㌔関門通過、ここから後㌔8分未満で行けば関門の午後3時の数分前に通過でこれも計画どおりである、、、さあ!後10キロで完走は確かなものとなる、ここからが関ヶ原!㌔8分で行き徐々に7分30秒に上げると意気込み走る、、時計を見る、、、8分30秒掛かっている、、、おかしい、、、速度を上げれと!言い聞かせ走る、、、また時計を見るしかし㌔8分10秒である、、、どうしたことか走れない、、、73㌔のサロマ養殖組合前に到着、、、何時もの応援が無い、、、少し寂しい、、、74㌔時計を見るが矢張りスピードは上がらず、、、しかしこれからでも遅くは無いと「貴様何をしている!」と独り言で気合を入れる、、、応援してくれている皆の顔を思い浮かべ足を借りる、、、魂で走れ!、自己の足を引き出せ!
刻々と3時が迫る、、、間に合わないよと弱気が泣く、、、諦めるな、、、諦めるから失敗がある、、強気で押し返す、、何度も気合を入れ叫ぶ!その姿勢を見てサロマの女神が微笑み関門を通してくれるだろう、、、しかし上がらない時間だけが迫ってきた、、ここからは㌔6分、いや5分で走らないと、、、、もはや無理、、、関門の午後3時、79㌔でした。完走の確信は何処へやら、、、タイムアウトでした。
今年は完走の執着心に欠け緊張感が無かった、60㌔での余裕が油断をさせ5分遊んでしまった様である。暑さ対策ばかりを考え寒さに対する甘さがあった、、、特に膝から下(上半身はゴミ袋で対策)は無防備であった。(高齢者で腰など下半身を冷やすと小便が出なくなるとのこと医者の一言)
今年参加しなかった走る戦友達は皆、これで安堵しただろう、、、完走されたら叉威張られると心配していたと思う、、、これで来年叉戦友達も復活であろう。
サロマ65歳定年と自ら宣言していながら、、昨年で終われば、「有終の美」で飾れるところであったが、、、、スケベ根性で居座る企業の役員の老害と同じく天罰である、、、来年汚名を晴らすべく再度挑戦し、忘れて来たメダルをサロマの女神からいただきに行きます。
反省、サロマは甘く見ては、走れない、走らせてくれない!、完走の一念・信念が勝負を決める。
しかしサロマ100初参加のKK君のペースランナーと監督の責任は果たす事が出来た、、彼は12:32で完走、昨年から走り始めいきなり完走!自分探しの挑戦・・・見事です、完走メダルの一部は私の成果でもある。
更に今年春から走り始め10㌔もハーフも、勿論フルも参加したことが無い勇者Kさんは50㌔関門通過でその先は来年に持ち越し、しかし走り始めて数ヶ月でサロマ100へ挑戦とはその度胸と勇気に敬意を称します。
更にUHさん夫妻は見事完走、それもご主人様は12時間である57歳でこれは立派!。我々仲間の大将YMと女王KHは伴に9時間59分です、、凄い凄いタイムです。
皆様の応援有り難うございました、これで来年もサロマ参加できる。
  

2008年06月17日

5/2マッセルモからゴーキョ(4790m)へ

5/2マッセルモからゴーキョ(4790m)へ
朝、5時起床、脈拍72、O2濃度78少し下がっている、しかし体調は順調。
ここからは、5000mの領域に入ることからポータが我々の体調を考え、リックをポータが背負いカメラだけを持ち、8時過ぎにゴーキョを目指して歩き始める。早速200mの登りである、この高度ではまだ身体が温まってなくこの急な登りは堪える、、、流石5000m域、下界では意識を失う空気は半分である。
登り切ると遠くに300mほどのモーレン(氷河が岩石を削り押し出した岩石の山)が見える、この先叉あれを登るのか、、、ため息がでる。登りで踏み込むと頭がくらくらして足の筋肉が痺れる、ここから少し平坦な道が続く、8000m越えるチョウオーが前面に迫ってくる、パングアのカルカが見えてきた、ここは1995年日本人10数名が左手前方の山からの雪崩に合い死亡した現場である、般若心経を唱える冥福を祈る、以前は石碑が有ったが今は取り払われていた。
ここから徐々に登りとなり、前方に200m以上はあるモーレンが迫り急激な絶壁をトラバスする登りとなる、キツイ、、しかしMT嬢は依然元気でハシャイデいる、、、矢張り女イエテのようである。登りきると小さな青色の沼がある、、、そこに2羽のアヒルが私達を迎えてくれた昔から2羽しか居ないとの事、この厳しい環境では二羽が生息の限界なのであろう、、、(地球は何10億人が限界なのか?)更に行くと湖面全部が紺碧の青第二湖がある、白い氷河を写し素晴らしい、更に前方にゴーキョピーク5357mが見える、、、登山道が見える、しかし殆ど直登、、、明日はこれを約600mの登るのか、、、恐ろしい、、、どうなる事か。
第三湖の側に今日の目的地であるゴーキョが見えてきた、、、焦らずゆっくり歩く、ロッチに到着、早速遅い昼食、、、気温が低く寒い、、ダウンに着替え、部屋の寝袋に入り休む、、、ここ数日殆ど食事ができないHYさんは元気が無く辛そうである、此処5000m領域まで来たのでこれで満足と安全を考え明日はピークを諦めて下山すると申し出でがあり、MT嬢と私の二人で他の3名分も合わせて登ることにする。明日のために早く眠ろう、、、、午後8時寝る。
  

Posted by 走るキンサク at 19:54Comments(0)ヒマラヤゴーキョ5357m遠征報告

2008年06月14日

高地順応マッセルモでの滞在

5/1、脈拍60、O2濃度80少し脈が上がっているが順調、朝は寒く山から引いている水道パイプが凍り付いて水が出ない、日中になると強い紫外線で温まりそれ程冷たくは無い、朝湯たんぽの残り湯で歯磨き、髭剃り、洗顔、、、、これも此処では貴重な水資源である。段々と日差しが強くなり暖かい、早速今まで汗で濡れたシャツなど下着を外で干す、これで着替えができる、考えたらもう何日身体を洗ってない事か、、、日中外で椅子に座り身体を休め山々を眺める、、、神秘的で雪男の存在を感じる、静かである、実に静かである、、、全てが地球の時間で動いている、、この景色は数千年変わっていないのだろう、、、、カラン、コロンとヤクの首につけた鈴の音だけが聞こえる、、水は氷河、エネルギーは太陽熱と燃料としてのヤクの糞、ゴミ、、肥料は人間と焼ヤクの排泄物、、、、神の手の平の中で生かされている無力の人間を感じる。















「コンドルが飛んでいる」の笛の音が聞こえる、、、MTがなんと笛を吹いている、、、このヒマールの山間の岩崖の上で笛を吹く女である、、、素晴らしい後景!彼女は食欲も落ちず、高度が上がるにつれて元気を増す、現地セルパのガイドを驚く雪女である、、、

此処マッセルモは雪男、女の故郷と言われており、、、真さに彼女の里帰りである、、、心配は雪男が拉致に来るのではないかである、、、この4400mを越えると更にゆっくりしか動けない、、、呼吸も薄い空気を少しでも多く取り入れる深くゆっくりである、段々と思考力が弱くなり字を書くのが億劫である、特に漢字が思い出せない、書きたいことは多いのだが書けない、、、疲れたのでこの辺で止める。ミネラル水は遂に200ルピーでカトマンズの4倍である。  

Posted by 走るキンサク at 08:41Comments(1)ヒマラヤゴーキョ5357m遠征報告

2008年06月11日

4/30雪男の故郷マッセルモ(4410m)へ

4/30ドーレ(4200m)からマッチェルモ(4465m)朝5時、何時ものように起床、晴天、調子は良い、脈57、血中酸素80、
朝8時出発、体が温まってないところで直ぐに200M以上の登り、これがきつい矢張り4200m、岩を登りで力むとクラクラ来る、酸素不足で筋肉が悲鳴を上げてピリピリと切り裂け痺れる、今まで以上にゆっくりと深い呼吸をしながら時間をかけて登る、ようやく登り切った。振り向くと今まで来た山道が見える、後方にサムセル(6618m)、カンテガ(6783m)、右手にタウチエ(6367m)、チョラッエ(6335m)、前方にチベット国境のチューユ(8153m)、360度の大パノラマである流石に4400mの眺めである、疲れも忘れ見とれる。
少し下り盆地のルサに到着し休息、遠くの尾根にチョルテンが幽かに見える、あの向こうの下が今日の目的地マッチェルモである、これから更にあの尾根まで登るのかとため息をする、さあ行こう!。
岩山に僅かの芝類を捜し求めながら寂しそうにこちらを見つめるヤクの顔が見える、今度生まれる時は人間になろうと羨ましそうである、俺たち今度はヤクかと話しながら長い登りを歩く、、、登りきりすぐ下にマッチエルモが見える。ここからのチョウユーは素晴らしい、あの下がゴーキョだろう。
ロッチに午後到着、何時ものように下の方から雲が出てきて風が強くなり急激に気温が下がる、ダウンを着込む。4300mは確かに違う世界であり空気が薄く、山々は神がかっており神秘的である、ここは雪男が出た言われる雪男イエテの故郷である。    
 
トイレへ行くとお経が聞こえてきた、何処かでチベットの坊さんが上げている、有り難く聞きながら用を足していた、ナンと目の前に蝿が飛んできた、坊さんではなく蝿でした、来世はこれかもしれない。酸素不足で何か考えが変になってきた、、、、危ない。夕食時に血中酸素を測定すると80である、矢張り体温を下げると直ぐに低下する。
顔がひりひりする、今朝日焼け止めを塗り忘れていた、紫外線が強い。
今夜は日本食で魚の缶詰とシジミの味噌汁で明日からに備える「佐藤のご飯」を10分茹でてもらうが、めっこ飯である、沸騰しても60度ぐらいしか上がらない、お湯を入れて更に煮込む、ご飯とは言えないが我慢して食べる。明日は高度順応で休息日、何か嬉しい、、、ここで一日滞在である。
  

Posted by 走るキンサク at 22:58Comments(0)ヒマラヤゴーキョ5357m遠征報告

2008年06月11日

10日振りのラン

6/11 いや10日振りの走りです、千歳後足休めと考えておりましたら何だか忙しく結局土日も走れなく、サロマを控えているのにと心配しておりました、ようやく今日会合が早く終わり5時過ぎからランへ、円山公園から南19条折り返しで10㌔でした、走れなかったことが足休みになり快適な走りでした、身も心も安心しました。今週末エコRCの月例会で10㌔ほど走り洞爺マラのメンバーとBQでビール乾杯!その後は酒もランも控えてサロマ目指します、サロマの女神が決める事で走りなさいと言われれば完走です、止めなさいと言われればリタイヤです、女王、神任せです。今月52キロ。  

2008年06月02日

6/1千歳フルマラソン参加

6/1 今日の大会も雨、これで2週続けての雨の大会、それも寒い。「水も滴る色男」でズブ乗れと林道のグシャグシャ道での走り。サロマに向けての調整も含め兎に角ゆっくり入る、最初の5㌔で㌔7分30、これは遅すぎと焦る、10㌔で67分。このペースの巡航速度㌔6分30で行く、10キロから20㌔まで連続登りである、大先輩のSさんに追いつく、顔を怪我されている、、聞くと洞爺マラの41キロの下りカーブで転び転倒との事それでも4時間4分で完走、とてつもなく速い75歳である。10㌔70分で走りながらこれから速度を増して後半更に、おそらく㌔5分位で走るのだろう、、、どうしてできるのかと考えながら後を付く、自分のペースが上がり後で追い越してくださいと先を行く、追い上げられ15㌔過ぎで追いつかれる、4時間での走りに付いて行こうと20㌔まで付いて行くエイドSTで見失う、それから追う、折り返しからの下りでNさんの赤帽子が見えてきた追いつき併走する、お互い競るとスピードが増すラップを見ると㌔5分代で走っている、足を痛めると心配になり速度を落とすが止まらない、足元を気にすることは出来ない、グシャグシャ道を抜かりながら一人になりそのまま行く、30キロで下りは終わり平坦になるが下りで弱り足が言う事を聞いてくれない、これから㌔6分で走り6分30秒平均で4:35完走の戦略達成は難しくなってきた、40キロから後2㌔ここからは㌔5分代で行こうと頑張り、ごぼう抜きと考えるが反対に追い抜かれる、ゴールグロス4:46でした。雨で寒かった身体は冷え切り早速着替えに、久ぶりの走りのHJは4:05である、走り込みの練習してもとても敵わない、走りは高地練習より生まれつきの素質のようである。ハーフ参加のASさんは86分で好タイム(女性のトップレベル)、SGさんはハーフ2:05、フル参加のNさんは殆ど練習無しで5:15でした。この後22日までは足を労わりサロマに備えます。  

2008年06月02日

5/30 千歳マラソンの試しで円山公園へ

5/30 明後日の千歳マラソンフル参加に向けて今週、足休めしており、千歳は半分が上りの連続、そして下り半分、洞爺の疲れがあると下りに弱い私は足に来ると心配になり、試し走で円山公園の登り下りで確認、問題は無い様であり安心。
明日土曜日は東京の友人ランナーと道産子ランナーの千歳マラソン壮行会、あまり飲まないようにしよう。しかし飲んでしまった結果は如何に?今月120キロでした。高地の結果は、体内のヘモグロビンは増加し酸素の取り入れは増し登りなどで息切れしない効果はある、しかし体重も2週間で3㌔落ち体力は低下し疲れが残り、体力が回復した頃にはヘモグロビンは平常値に戻りプラス面とマイナス面とで矢張り年寄りには難しいようです、6/1の千歳マラソンの結果で更に検証します。