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スポーツ  |札幌市中央区

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プロフィール
走るキンサク
走るキンサク
 氏名    橋    金作
        走 る キンサク(76歳)

●主な役職
株式会社エコニクス創業相談役
㈱沿海調査エンジニヤリング相談役、 
(財)電気保安協会 理事、
(元)北海道経済連合会常任理事
●趣味スポーツ歴
・日本海沿岸走5800㌔走破
 北海道沿岸道3000㌔走破、
 青森竜飛岬から青森・秋田・山形・新潟・富山・石川・福井・京都・兵庫・鳥取・島根・山 口・福岡・佐賀・長崎県野母崎の日本海沿岸2800㌔走破、九州最南端佐多岬ヘ、青森大間崎から太平洋沿岸久慈海女ちゃん小袖浜へ更に陸奥海岸復興視察ランで女川へ
・サロマ100㌔ウルトラマラソン4回完走、
・札幌スキーマラソン50キロ15回完走、
・オホーック85㌔スキーマラソン11回完走、
・ヒマラヤ カラパタール5545m、ゴーキョピーク5357m登頂。
・エベレストBCへ2度(チベット側チョロランマ、ネパール側サガールマーター)
・国際潜水教師協会理事(NAUI)元インストラクターDr、
・他に北海道、東京、ホノルル、洞爺、千歳、網走等のフル、利尻一周55㌔マラソン等など完走、自転車、水泳、カヌーなど
平成 2018年 3月 現在
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2004年06月01日

2004年5月知床西海岸制覇ウトロをめざす!の報告

5/22.23.24.サロマ常呂より知床ウトロを目指す美女とオジサンの140?ランの感走記
(2003年より沿海ラン累計1323/2700Km)
●5月22日曇り霧冷め気温10℃常呂から網走54?
常呂サロマ100ゴールから能取湖を回り能取岬から二っ岩経由網走橋まで45?の予定59キロあった。
「サロマ100ゴールは我々のスタート!」と気合を入れる、今年サロマ100再度挑戦のトレーニングを兼ねてサロマ養殖組合職員の小笠原ミチホさん美女の参加、何時もに無く元気な走る金作、、ミチホさんのお母さんと友人、佐藤義規君の車での伴走、心配して見送りに来たミチホさんのお婆ちゃん、これから3日間で140?走破をめざし、霧雨の気温の低い中ゴミ袋を被り出発!
すぐにサイクリングロードへ、なかなか走りやすい6キロでの常呂側の能取湖(正式な呼び名はノトロ湖)湖口への入る道へ、これから先へは地元のミチホさんも行った事はない湖口をめざす、ここから丘へ向けて登り、湖と海と畑に囲まれた大自然の春の息吹、土と磯の香りの中を走る何か生きいきする、5?弱走り湖口へ、ここから国道まで平坦な静かな道を行く遅い野桜が満開、15?地点での国道へ、能取PAからサイクリング道へ車も無く走りやすいここから昼食の対岸キャンプ場まで10?(計算違い)ほど、雨もやみ風も無く快調に走る20?過ぎても能取岬への入り口は遥か彼方、12時を過ぎ25?を過ぎても見当たらない卯原内PAからまだ4?先、このとき道路地図の距離記載の間違い(常呂から網走22?は32?の間違い)が判明、腹ペコでガス欠状態で岬の国道入り口までは走ろう、、サイクリング道で爽快な走りが段々苦しさとなる。遠くにSP佐藤君が手を振っている、30?地点午後1時到着、この先のキャンプ所まで5?移動、寒い中、外でインスタント麺を食べる。午後14時過ぎ能取岬目指して12?スタートする、網走は25?以上ある午後6時過ぎるのでは、、、途中砂利道となる、岬前5?ほどから登りとなる段々と急で辛い、ようやく頂上へ、すぐ岬かと思ったら今度はダウン、そして登りの繰り返し岬入り口の看板ここから2?の下り、足に来てガクガクして走れない静かにゆっくりと岬へ向かう、遂に能取岬へ到着、オホーック海が一望、遠くに常呂の港が見える。
ここから網走まで12キロ、又アップダウンの連続そして長い急な下りで二ッ岩午後6時、後5?網走港が見える、道なりに走るがゴールが検討つかない、さすが地元のミチホさん遠くのミスタードーナッの黄色い看板あれがゴールと指を差す網走橋を渡る薄暗い中18時40分網走到着。
今日は結局54?走(59?のところ)今日は今までの最も遅い上がりでした。

●5/23晴れ気温10度、網走から斜里へ40?
朝8時過ぎにサポータの皆さんとミチホさんが到着、
昨日54キロでミチホさん心配していたが元気、海沿いの国道を走る遠くに知床半島の西側が見える、天気も良い、清々しい磯の香り、10キロで藻琴へ到着、これから涛佛湖とオホーック海に挟まれた原生花園脇の直線国道を行く、原生花園は昔軍馬の放牧生産がされ馬の食に適しないバラ科などの花が残り花園となったことであり原生と言えるのだろうか、原生花園PAへ到着、ここで名サポーターの佐藤君が仕事の関係で帰る、ソフトクリームを食べ歩く、浜小清水の道の駅で昼食、ここから国道と別れ海沿いのハマナス街道を止別まで行く、止別手前の国道で手を振っている女性がいる、大きなポスターに「お疲れさま、ようこそ斜里町へ!」を掲げて斜里町の片山さん、佐藤さん、感激!ありがとう!弱ったこの身に一番の薬である。ここから先は農道を、静か、小鳥のさえずりが聞こえる、空も、風も、小鳥も、皆応援してくれている斜里岳が素晴らしく綺麗、雄大であるここまできたか、農道に沿って牛舎がある、その前に生後1ヶ月ほどの乳児牛がりんご箱ほどの大きさの保育器に入っている、20箱ぐらい可愛い顔をしてこちらを見ている。この道を真っ直ぐ行くと国道、左に曲がると砂利道の近道、近い方の左へ曲がる少し行くと工事中で大きな砂利石で走れないこの先10キロはある、「急ば回れ」の教訓を思い出す。走れない4時までには斜里へと連絡してあったが間に合いそうもない、ミチホさんが足首に違和感があると痛みを、やはり足首に無理が掛かったか、やっと舗装道へでるそこへ河面さんが出迎えてくれた、今晩歓迎会をしてくれるとの話、急に元気になるここから斜里川沿いに役場まで4キロほど道が曲がっており長い役場前の昇り坂を越えゴールの役場へ到着。
斜里温泉(100%温泉)へ斜里の河面組社長様はじめ皆様の歓迎会へ呼ばれ、新鮮な地元産の大変なご馳走で歓迎会、ビールが美味い、飲みすぎないようしなければ、明日も頑張ろう!
●5/24斜里から知床ウトロへ40?、曇り気温10度
助役さん、田代さん、河面さん、片山さん、佐藤さんの見送りで役場前をウトロへ。佐藤さんが自転車で道先案内をしてくれる。ミチホさんの足の調子が悪い、昨日の砂利道でやられたか?痛み止めの薬を塗る、着地の位置を変える、これで体が温まってきたら調子が出るだろう、斜里町の裏道は素晴らしい道の両サイドが森、正面前面に斜里岳が聳え立つ素晴らしい景観、そんな中気持ち良く走るミチホさんも快調になる、国道へ繋がる農道へ入る採石所がある、途端に大型ダンプの往来危ない!走れない、道の脇へ逃げる、ようやく国道に入る、しかしここも道路は昔のサイズで狭い大型バス、ダンプで走れない、峰浜のキャンプ所12キロへ2時間かかる、少し行くと知床エコロードで幅広い歩道が整備されている、ここから天気も晴れてきた。ウトロまでアップダウンは無い、いや有ると昨夜議論、やはり峰浜から日の出までは結構な昇りである、最も急な昇りを過ぎた所の高台にレストラン、ここはミチホさんのお母さんが主人と来た思い出のレストランである。ここで昼食、遠くにノトリ岬が霞んで見えるあの向こうがスタートの常呂である、よくもここまで来たと感心する。このレストランのベランダにツバメが毎年巣づくりをすることからベランダ半分をツバメに明渡したツバメのお宿である。午後ここから18キロ今回のツアー最後の走りだ、羅臼岳が見えるあの下ウトロ頑張ろう、
知床旅情を歌う二人で歌いながら走る、ミチホさん足が痛むしかし我慢強い、このミチホさんの明るさ笑顔が元気の元と強さ、オシンコシンの滝へ着、多くの観光客でにぎわっている、我々のマラソン姿をみて刺激されたのか急に走り出す叔父さんが居る、春で水も多く見事な滝である、今から40年程前の若き日に未舗装のこの道を土煙のなかをバスで来たことを思い出す。
ゴールまで後8?だ、弁財湾トンネルを越えるとウトロ手間への岬が見えてきたあれを越えれば後2?だ5時までに漁組に挨拶と考え時計を見る、4時45分急がなくては、今は亡き父親を釣りに連れ来た思い出の三角岩、その側がウトロ港、2分前到着すぐ漁組へ駆け込み野田専務へ挨拶、
ウトロ温泉へその後常呂へ戻り宿泊。
5/25朝7時常呂を出て能取キャンプ所へ5?カットした国道からの道を走る、その後サロマ養殖組合へ挨拶へ、ミチホさんは昨日までの死闘の面影も見られず何もなかった様に笑顔でオハヨウと挨拶、さすが根性だ疲れを顔に出さず平然と勤務、驚きました。加藤常務へ挨拶とミチホさんの活躍など報告し札幌へ。

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2004年5月知床西海岸制覇ウトロをめざす!の報告
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