2004年08月10日
創業時の思い出の目梨漁港を目指す
31年前の創業初仕事の目梨港めざして猿払から43キロ、
天気は晴れ、気温27℃浜頓別に向うと内陸に入り蒸し暑い、調子が出ない。浜頓別近くには多くの湿地がありブヨ、蚊、などが多く立ち泊ると襲われる、走っても追い駆けてくる、逃げながら払い除けながらは逃げ走る、しかし刺され腿は傷だらけ、虫除けと虫刺され薬が必要と後悔する。頓別漁組へ挨拶20年ほど前海底調査で仕事でお世話になり挨拶、しかし当時の方々は既にあの世へご冥福をお祈りし手を合わす.午後から曇り気温が下がり寒くなる、遠くに枝幸カムイ岬が見えるそれに向う一直線の道を走る近くに見えるが行けども行けども岬には着かない、あの岬を越えたら創業時苦労した思い出の初仕事目梨漁港である、現伊藤社長は学生アルバイトでこの港120M防波堤の工事をした二人の思い出の地である、ようやくトンネルが見えてきたここのPAで休憩し後4キロを走ろう、社長が事前に来たらスズメバチが居るとの情報、気おつけながら短時間の休憩で約2?トンネルを走る遠くに明るく見えるのが目梨と思うと31年前の若かりし日が懐かしく思い熱いものが込み上げる。昔何も無い貧村の目梨が今では綺麗な町並みの魚村となり漁港が見える丘にはキャンプ所の公園がある、二人で港を背景に写真をとり港まで2?を走る。我々の飯場あたりはやはり今でも倉庫が建っており、昔ながらの雑貨屋さんがあったが旅館は無くなっていた。
30年前孫請けで施行した防波堤は今でも健全であり安心した。
30年前孫請けで施行した防波堤は今でも健全であり安心した。
Posted by 走るキンサク at 16:47│Comments(0)
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