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スポーツ  |札幌市中央区

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プロフィール
走るキンサク
走るキンサク
 氏名    橋    金作
        走 る キンサク(76歳)

●主な役職
株式会社エコニクス創業相談役
㈱沿海調査エンジニヤリング相談役、 
(財)電気保安協会 理事、
(元)北海道経済連合会常任理事
●趣味スポーツ歴
・日本海沿岸走5800㌔走破
 北海道沿岸道3000㌔走破、
 青森竜飛岬から青森・秋田・山形・新潟・富山・石川・福井・京都・兵庫・鳥取・島根・山 口・福岡・佐賀・長崎県野母崎の日本海沿岸2800㌔走破、九州最南端佐多岬ヘ、青森大間崎から太平洋沿岸久慈海女ちゃん小袖浜へ更に陸奥海岸復興視察ランで女川へ
・サロマ100㌔ウルトラマラソン4回完走、
・札幌スキーマラソン50キロ15回完走、
・オホーック85㌔スキーマラソン11回完走、
・ヒマラヤ カラパタール5545m、ゴーキョピーク5357m登頂。
・エベレストBCへ2度(チベット側チョロランマ、ネパール側サガールマーター)
・国際潜水教師協会理事(NAUI)元インストラクターDr、
・他に北海道、東京、ホノルル、洞爺、千歳、網走等のフル、利尻一周55㌔マラソン等など完走、自転車、水泳、カヌーなど
平成 2018年 3月 現在
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2007年07月07日

サロマ100㌔の感走記・・・思うままに。

再びサロマの風になれるか
「2007年6月24日 第22回サロマ100キロマラソン」
61歳から4度目の完走を目指し毎年挑戦するが、サロマの空、天は味方せず暑さとの戦いに、敗れ続けたこの3年間、今年こそは天を味方に引き込み、一緒に走り励ましをしてくれたランナー、無理しないようにと応援してくれた家族、そして東京より現地入りして万全の体制でバックアップをしてくれたN奥様はじめ多くのサポーターの皆様へ完走で感謝を示して走る、サロマ65歳定年宣言をして完走を誓った、
再びサロマの風になれるか・・・走る金作・・・最後のサロマ100㌔マラソン。

●「走れる足創りの準備」
例年冬はクロカンスキーで鍛えるが、今年の冬はサロマ用の脚つくりにスキーを中止して室内走に徹した、一周300mの真駒内アイスアリーナー、400mツドームで毎週50、60.100周と走り12月にはホノルルマラソン、2月東京マラソン、5月GW北広島往復54㌔、5月末洞爺マラソン、6月上旬利尻55㌔マラソン、などと練習を合わせ今年07年に入り1500㌔の走り込みをしてサロマ100㌔マラソン65歳定年、最後の完走を目指して準備をしてきた。此処3年間気温が高く連年夏日の大会であったことから道産子の老齢寒冷地仕様ランナー「型が古いが吹雪に強い」、クーラー不備の「走る金作」には屈辱の3年間でした、今年は今までの経験を基にして13時間全てを生かし完走だけを目指し走り込みをしてきたが、足、足首、股など数度の故障で何度も走ることが出来ない状態もあった、走りたい気持ちを抑え足休めとアスリート治療院竹花院長の治療によりこれを乗り越え「速くもなく、遅くもなく、焦らず、自分を信じてサロマの風となれ!」完走戦略を立て大会当日を迎えた。

●作戦・・タイム計画
・10㌔から55㌔までは㌔7分を持続する。
・55㌔グリーン館を11時35分に出る。
・70キロ関門の10分前の13:35、
・ その後㌔8分で走り80㌔は関門の5分前14:55着
・ ワッカ20㌔は㌔8分30秒でゴールを目指すと
・ゴールは17:45分で完走。
●事前対策
① 2週間前より晩酌のビールは缶(350)2本とする。
② 2週間前よりヤクハン製薬エゾウコギを飲み持久力を強化。
③ 2週間前より疲労回復の足休め、殆ど走らない。
④ 55㌔を㌔7分で走りダメージを確認し、利尻55㌔、GW54㌔を走り耐性をつける。
⑤ スペシャルに30㌔(お粥、)、55㌔(お粥、コーラ)、80㌔(お粥、コーラ)を置きエネルギー不足対策をとる。
⑥ 前日、当日朝と20㌔ごと交互に、アミノバイタル、メダリスト(クエン酸)と飲み乳酸を抑える。
⑦ 80㌔からの低温対策としてスペシャルポイントにゴミ袋ベスト、長袖、手袋、
⑧ 数週間前より朝3時起きの体性をつくり、夜8時に床へ付く習慣をつける。
「サロマへ乗り込む」
●前日6/23、札幌を朝6時に出て常呂町へ、当日73㌔地点の沿道で応援してくださるサロマ養殖組合の皆様へ事前のご挨拶、そしてコースを逆走して下見をしながらエントリー会場の湧別へ、天気は曇りで気温も高くない、明日もこんな天気であればと祈る、しかし昨年も前日はこのような天気でありながら当日は夏日で伸びてしまい55㌔でリタイヤしたことを思い出させる。エントリーを済ませサロマ15㌔地点近くの竜宮台の宿舎へ。
N夫妻が前日から入り我々を迎えてくれた、奥様には毎年東京から来ていただき我々の食事の支度を12年していただいている、ここ4.5年は完走率が悪く本当に申し訳なく今回が最後でありなんとしても応えなければと明日の完走を誓いご挨拶。今回我々チームはサポート4名とランナー9名が100キロへ挑む、早速明日の天候を確認、明日は曇りで気温16℃、朝は9℃との予報、これなら走れると安心するが例年天気予報が当たらないのが、サロマ周辺の天気、夏日から寒冷の霙まで全天候に対応できる仕度をして現地入り、明日は何を着て行くか?天気予報から明日は、曇りで朝スタートは10℃、その後40.50.60㌔は最高気温20℃以上、夕方80㌔からは10℃と判断してスタートは半袖、シヨートタイツ、後半に備え80㌔にロングシャツとゴミ袋ベストを置き、更に途中での雨にも備えゴミ袋ベストと手袋をウエストポーチに入れる、我々ランナーの持久力を考慮してN奥様手料理の炭水化物中心のスパゲテーと地元から差し入れの新鮮な毛蟹、ホタテなど飲みたい気持ちを明日に向けて我慢して、夕食とビールを少々とクエン酸、アミノバイタルを飲み、午後8時に床へ、例年参加者は慣れたもので直ぐに眠れるが初参加のランナーは興奮してなかなか眠れないだろうな、、と心配して眠りに、夜8時に床につく習慣を身につけてきたことから一気に眠りにつく、朝3時50分に目が覚める。

●6/24「サロマの戦い」
気温は例年より低くない、何時もなら暖が欲しいぐらい冷えるがその必要は無い、14℃ぐらいか、これなら日中気温が上がるのでは、曇りならば良いが、ランニングシャツで良いのでは、しかしスタート時寒すぎては問題である、昨夜の作戦で行こう。
・ 6/24朝の準備
キノシオテープ、身体に擦れ予防のワセリン、足の爪保護のテープそしてストレッチ体操、トイレへ、出は良し。4時に朝食(うどん、果物、野菜ジュースなど)、クエン酸、アミノバイタル、蝦夷ウコギ、毎日のサプリを飲み、再度トイレへ行き準備万端4時20分スタート地点へ向かう、
・ サロマ挑戦の火蓋が切られる
依然例年よりは寒くない(寒ければゴミ袋ベストを被ろう)多少蒸す感じがする、スタート前の写真を皆で撮る、いよいよスタートに立つ、一昨年のタイムアウト数秒の屈辱教訓からそれをカバーするために前列へ並ぶ、他のランナーに引っ張られないよう充分気をつけて皆を先に行かせ㌔7分半で入る作戦自分に言い聞かせ確認、朝5時号砲スタート!気温が上がらない事を祈り出発!このスタートはこれで10回目で慣れたものであるが、これから13時間、100㌔かと思うと何時も止めとけば良かった、、、と脳裏が語る、今日は午後6時で勤務は終わる、今日は残業無しと言い聞かせ、ゆっくり、ゆっくり走る、3㌔経過、予定のタイム、しかし何時もより多く汗が出る、今日は調子が悪いのか?、ここまで着たら自分の身体を信じよう、気にせず走れ!、皆どんどん私を抜いて行く、焦る気持ちを抑え、後半に皆ゴボウ抜きで仇を取ると辛抱する、5㌔の給水をとる、うっかりしてタイムの確認が出来ない、無風で適温10㌔経過63分、早すぎる、落とせ!落とせ!㌔7分にすれと調整する、15㌔手間へで赤いランニングウエアーの老人が私を抜いていく、焦る、しかし見覚えがある、サロマンブルーの74歳の私のLSD師匠の須藤さんである、サロマは遅く、遅く入りなさいと何度も言っていたが「須藤さん早すぎませんか?」と尋ねる、こんなもんだと先を行く、焦る、マイペース、マイペースと抑える、15㌔地点でN奥さん、Aさん、Kさんの応援を受ける、竜宮台の折り返しから少し行くとNさんと会う、順調そうである、例年30キロ過ぎから抜かれるから後ろで待機している位置取りであろう、会社のK君が見当たらない、少し行くと出会う「トイレで用を足していた!」、20㌔経過計画より依然7分早い、「㌔7分のペースを守れ!」と再度確認してクエン酸を飲みこのまま走ろう、25㌔、エイドSTで後ろからきたおばさんランナーが「バナナ無いの?」と叫ぶ、スタッフのおばさん「もう売り切れだよ、もう5分早く来ないとだめさ!来年早くおいで!」「ここにあることになっているのに!」とガックリ、朝飯をバナナでと考えていたのだろう、矢張りランナーの気持ちが解らない、エイドSTであるはずの物が無い事は砂漠のオアシスに付いて水が無いのと同じでショックですよ、エイドスタッフのおばさん、しかしこれがマラソンです、頼れるのは自分、何があるかわから無い、こんなことも想定し準備しなければ完走できないのがサロマです。
25㌔も計画タイム、これからの30㌔まではスタートへ戻る方向で何時も長く感じる、淡々とマイペースで行け!遠くに目印の赤い屋根が見えてきたその手前のサイロが30㌔地点、朝預けたSPを受け取る、朝4時に朝食であり食後5時間近く経ちそろそろ昼食の時間である、ここでガス欠にならないようにSPのお粥を食べる、半分食べ、残りポーチへ入れ走る、35㌔までは何故か近く感じる、矢張り30㌔からの折り返しでゴール方向へ向かうからだろうか、35ST、ここは例年スカイがある、矢張りある、食べる、美味い、足の痙攣と厚さ対策にはこれば効く両手に持ち食べながら走る、順調に計画どうりである、しかしここからの緩く長い登りと40㌔前のバロウまでの下りで失速して何時もNさんに抜かれる、「集中して㌔7分」と言い聞かせ走る、バロウのエイド到着、Nさんは後ろから来なかった、、しかし奥様が応援している直ぐ後ろだろう、、ここで残りのお粥を食べ42.195のフルマラソン地点を通過、予定より4分早い、この調子で行けば55㌔のグリーン館へは11時30分には着ける、しかし矢張り例年のように青空が出て日差しが強くなってきた、サロマの悪魔が出てきたか?、、、時間的にも10時過ぎで気温が高くなってきた、更にここから登り下りが7㌔続く、早組ランナーは涼しい時間に皆ここを通過して楽であるが、我々遅組にはフエンー現象の影響をまともに受ける過酷な区間でありこの後の関門通過に大きく影響を与える、しかし寒い頃を思い天からのめぐみの太陽だと有り難く受け止め感謝で走ろう、、、給水で帽子を濡らし頭を冷やす、膝と腿に水を掛ける、計呂地まで緩やかな登りが数㌔続く、今までの貯金の5分をここで使おう、、、ここあたりは地形的に北見の内陸の熱波が降りてくるところと考え山など地形を眺め考えながら走る、北見への分岐点の鉄塔が見えてきた、ここから大きく左にカーブして登りとなる、完走勝負の第一の難所、ここで負けては「あの屈辱だ!」と腿を叩く、ここから2つの登り下りの山がある、それを超えた1㌔先の登りが関門時間11時30分の50㌔地点である、時間はある、このペースで行けば11時前に通過できる、頑張れ!走る金作と自分に声をかける、遠くに50㌔関門が見えてきた、ここからの直線が長い、通過!予定通り10時55分、ここから更に急な登り、登り切るとサロマ湖畔へ今度は急な下りエイドで給水、ここだけは関門通過してから1㌔先でのエイドでありアップダウン7㌔で給水が出来ないサロマ完走の第一難所である、湖畔へ下ると55㌔のグリーン館が見えてきた、ここは平坦で例年速度を増すことが出来る、11時30分に到着すれば完走が見えてくる、「頑張ろう!」「完走を頭に描き走れ!」1分早い29分に到着、ここを35分に出れば完走だきる、5分の休息と補給、しかし預けた荷物が出てこない、時間が無い早く、小さなオニギリとウイダーゼリをもらい、我々のサポート隊の元へ、激励を受けながらお粥食べ、コラー、と秘薬、アミノバイタル、クエン酸、を飲む、先に着いた中山さんが足が痛いと言ってる、痛み止めの軟膏と秘薬を飲ませる、元気になり先に出ていった、Aさんから出発の時間の35分です「行け!」と渇を入れられる、時計を見ると37分である、これはヤバイ!と着替えもしないでそのままで走る、ここから叉登り、直ぐ数百mで55㌔地点、タイム確認11時40分、70㌔関門まで15㌔、2時間5分ある㌔8分でも間に合う、しかし数秒足りなく止められた一昨年の70㌔関門を思い出し㌔「7分30秒で走れ」と身体に指令、12時35分関門の60㌔を12時18分で通過70㌔まで後10㌔、87分ある、このままで70㌔関門は間に合う、段々と完走が見えてきた、身体に喜びが涌いてきた、「行け、行け金作」63㌔のエイドで中山さんに追い付いた、「ダメだ」と弱っている、「このままで完走できます」私のこのペースで行きましょう、、湖畔の森の中を走る、中山さんが苦しそうだ、「今までの人生で最も楽しかったことを思い出しましょう」と激励する、67㌔で先に行ってくださいと速度を落としていった、、「少し落として諦めないで走れ!」言って別れる、例年ここの森の中は70㌔関門通過できるかの勝負くをかけるサロマ第二の難所である。浜サロマが見えてきた橋を渡りサロマエイド最大のST冷やしたお絞りが手渡される、、ありがたい、、甘いゼリー、アイス菓子、番茶、などなど素晴らしい、、、ゆっくり食べたいが時間が無い、ここから2㌔先で13時45分関門の70キロ、予定は13時33分、頑張れ!天候も曇り涼しくなってきた、関門の目印の青い道路標識が見えてきた、しかし何時もの所に関門が無い、何処、何処!、湖畔へ曲がったところにあった、予定通り到着、ここから80㌔関門までは㌔8分で走れば関門5分前の14:55に着ける、間に合う。まだまだ走れる、しかし調子に乗るな、あと30㌔ある、大事に大事に何があるかわから無い、突然のアクシデントが待っているのがサロマだ、73㌔のサロマ養殖組合前が見えてきた、例年、沿道に大きな看板を掲げてビール、焼肉などで待って「やめたら無理をしないで」と応援してくれる我々の特製私設のエイドSTである、ここに寄り誘惑に負けないようにして歓迎の看板前で写真を撮りコラーをもらう、あれ!Nさん、K君がいる、55㌔でリタイヤ、.60㌔で関門ストップで中止とのこと、それでは「二人のゼッケンも付け3人分走りましょう、任せてくれ!」と急いで走る、この先のホテルでお汁粉サービス有りと看板、疲れた身体には甘い物が一番である、ご馳走になろう!楽しみにして走る。鶴賀ホテル着、エイドのテーブルがあるが何も無い、何処に、この先かな、、走る、、何も無い、お汁粉は何処ですかと尋ねる、あっさりと「もうありません」と返事、何だか信じていた恋人に振られた気持ち、、、落ち着け、、振られるのは慣れているだろうと言い聞かせ80㌔を目指す、左手の先にワッカの丘陵85㌔地点を走っているランナーが見える、早いな、、YさんもマダムHも今ごろはあそこを走っているのだろうな、、、私はこれからその入口へ向かっている、、、昨日、残してある、蟹とホタテでビールが飲めるぞ!と言い聞かせながら、林の中の道を何度も曲がりながら走る、赤い屋根が見える、、、その先左に折れれば80㌔SPエイドだ関門に間に合う、、、、近くなってきた、80㌔のSP(長袖シャッ、ゴミ袋ベスト、コーラ、お粥)を受け取り手に持ちながら500 m先の80㌔関門を駆け上る、ジャスト予定タイム14:55、これで完走は出来る、一安心、これから20㌔を3時間で走れば良い、充分に力は残してある、サロマ今年が定年で完走だ、、楽しみながら味わってワッカを走ろう、何時もは原生花園の花を見るゆとりは無かったが、、、景色を楽しめそう、花が多く、綺麗だ、しかし霧雨になり、、冷えてきた、Tシャッの上に長袖を着る、お粥を食べ、コラーを飲みながら行く、しかし完走が見えてきたら気が抜けて遅くなりすぎだ、、、1㌔8分と気合を入れる、しかし自分の頭の仲から「大丈夫と」叫んでいる、悪魔の囁きに乗ってはいけない!、雨が激しくなる、ごみ袋を被る、85㌔到着この5㌔は43分かかっている、急ごう、
反対車線の90㌔地点との交差の87㌔到着、ここから1.5㌔先がワッカの折り返し、ここの関門は午後4時30分、ここまで戻ると4:20になる、充分に間に合う、しかし急ごう、、折り返し、ここから常呂のゴールまで一直線だ、行け!行け!金作!
90㌔地点、予定どうりの20分着、ゴールまで後10㌔で100分ある、間に合う5時40分頃終われると喜びが沸いて来る、昨年秋から今年のサロマに全てを集中させて来た、完走できなかった年は会社の成績が思わしく無く低迷する、今年は順調に進んでいる、完走が経営に影響するのか、経営が完走に影響するのか、、、しかし社員の努力があっての経営だ、その苦しみを考えると完走しなければ社員に申し訳ない、苦しい時は社員の苦しみはそれ以上と自分に鞭打ち今日まで来たな、、、もはや完走を確信してきたら気力が抜けて遅くなっているのが感じる、95㌔過ぎの登りを越え、そこから力を全部出し切り走れば45分頃ゴールだと考え走る、下りになるが足に堪え走れない、、、平坦になる澱粉工場へ出てきた、後2キロほどだ、、突然!、N夫妻、Aさん、Kさんが出迎え応援「完走間に合う、頑張れ」と声を掛けてくれた、急に元気になる「完走任せて!」ここから一気に行こう、、最後の2㌔の直線、遠くにゴールの林が見える、しかしこれが遠い、、
残り1㌔の標識、ゴールだ!ゴールだ!もう走らなくても良い!午後5時50分ゴールイン、12時間50分。お疲れ様と自分で腿を撫ぜる、皆さんありがとう!N奥様ありがとう!これで今後は迷惑を掛けません、Aさん約束を果たす事が出来ましたお陰です。「走ったのでは無い、天・地・人皆さんに走らさせて頂いたのです」、これで念願の65歳サロマ100㌔完走、K君の向え、ありがとう、初サロマのKさんは10分前に完走とのこと流石です、60歳でマラソン始めて1年半で完走とは驚きです。
これで私はサロマ65歳定年です、10回の参加で4回完走でした。
勝率40%であまり良い成績ではありませんので卒業できそうでしょうか、矢張り60%以上が及第点でしょか、東京のHさんから67歳の挑戦の声が聞こえてきます。
しかしサロマの呪縛から一旦は逃れられます、今後は本当に楽しみながら囚われないで走ります。
サロマの風に再びなれた!
2007年6月24日 走る金作・・・橋金作





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この記事へのコメント
読んでいて、一緒に力が入りました。本当にお疲れ様でした。まだまだ力が残っていそうですね。
私は今日、豊平川を走り、花壇の淵のレンガに躓いて、ひどい転び方をしました。両手、両肘、腹、両膝、あごに、切り傷、打ち身と擦り傷です。腹の擦り傷が痛くて、下半身しか風呂に入れませんでした。サロマ以降、足が撚れているのでしょう。
Posted by kimutako at 2007年07月07日 21:47
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サロマ100㌔の感走記・・・思うままに。
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