2008年05月22日
4/26チュタワ(2591m)からジュムサレ(2740m)へ
・ 4/26チュタワ(2591m)からジョルサレ(2740m)へ
・ 昨夜12時ごろ一度トイレへ朝5時に起きトイレへ、暗くヘットランプ持参で用を足す、水洗であるが水が出ない汲んで流す。脈拍51、血中酸素93で良好、朝から鳥がフイーフイーと鳴いている。
・ 7時朝食卵焼きとナン、鮭のお粥、紅茶を2杯、こちらネパールの食事は飽きてきた。
・ 8時出る、道は以前と違い歩き易い、途中ロッチ、レストラン等いろいろな施設が整い昔のようにテント泊の必要は無く、観光産業の発展を感じ取れる。昔渡った木製の麻ロープのつり橋は鋼鉄ワイヤのつり橋と変わり安心できる、しかし揺れは同じである。アップダウンの道を行くとナバウゾンの部落に山の上数百mから取水している水力発電所(70キロワット)が出来ていた。気温は高く20℃ぐらいはある、ベンカで昼食ここは滝の名所の様であるが乾季で水は無くレストランの外の椅子に腰掛けながら滝跡から絶景を創造する。午後12時過ぎから急速に曇り風が強くなり一気に気温が下がる、店内で昼食を取る。梨、林檎など日本から移植した木々の花が咲き綺麗である、昔は無かったが日本からの経済援助で果樹園が産業化されている。途中ジョルサレのサガルマーター公園エントリーゲートで許可書などと手荷物のチエックを受ける、北京オリンピック聖火のエベレスト登頂が迫り周辺は入山禁止であり叉チベット問題の抗議を阻止するための厳重なチエックを受ける、私のリュックの日本手ぬぐいのプリントが阻止メッセイジーと間違えられ没収、説明するが手ぬぐいに文字をプリントする習慣は外国では無いようでガイドのセルパーの通訳を通じようやく理解。長いつり橋を渡り右折少し行くと今日宿泊のジョルサレのロッチである。夕食は7時持ち込んだタマゴスープにトロロ昆布を入れ現地ダルパードルに卵振り掛けを掛けて食べる。寝袋に布団を掛けて寝る、気温はそれ程低くは無いが兎に角寒い、ここ辺りから水を兎に角飲む日に4~5Lは飲まなくてはならない夜2度のトイレへ暗くヘットランプは必携。
・ 昨夜12時ごろ一度トイレへ朝5時に起きトイレへ、暗くヘットランプ持参で用を足す、水洗であるが水が出ない汲んで流す。脈拍51、血中酸素93で良好、朝から鳥がフイーフイーと鳴いている。
・ 7時朝食卵焼きとナン、鮭のお粥、紅茶を2杯、こちらネパールの食事は飽きてきた。
・ 8時出る、道は以前と違い歩き易い、途中ロッチ、レストラン等いろいろな施設が整い昔のようにテント泊の必要は無く、観光産業の発展を感じ取れる。昔渡った木製の麻ロープのつり橋は鋼鉄ワイヤのつり橋と変わり安心できる、しかし揺れは同じである。アップダウンの道を行くとナバウゾンの部落に山の上数百mから取水している水力発電所(70キロワット)が出来ていた。気温は高く20℃ぐらいはある、ベンカで昼食ここは滝の名所の様であるが乾季で水は無くレストランの外の椅子に腰掛けながら滝跡から絶景を創造する。午後12時過ぎから急速に曇り風が強くなり一気に気温が下がる、店内で昼食を取る。梨、林檎など日本から移植した木々の花が咲き綺麗である、昔は無かったが日本からの経済援助で果樹園が産業化されている。途中ジョルサレのサガルマーター公園エントリーゲートで許可書などと手荷物のチエックを受ける、北京オリンピック聖火のエベレスト登頂が迫り周辺は入山禁止であり叉チベット問題の抗議を阻止するための厳重なチエックを受ける、私のリュックの日本手ぬぐいのプリントが阻止メッセイジーと間違えられ没収、説明するが手ぬぐいに文字をプリントする習慣は外国では無いようでガイドのセルパーの通訳を通じようやく理解。長いつり橋を渡り右折少し行くと今日宿泊のジョルサレのロッチである。夕食は7時持ち込んだタマゴスープにトロロ昆布を入れ現地ダルパードルに卵振り掛けを掛けて食べる。寝袋に布団を掛けて寝る、気温はそれ程低くは無いが兎に角寒い、ここ辺りから水を兎に角飲む日に4~5Lは飲まなくてはならない夜2度のトイレへ暗くヘットランプは必携。
仙人生活から3000m以下の俗社会ルクラ、そして帰国
5/5いよいよ下界、、、ビールで乾杯
5/4俗世へ向けての下山マッセルモからケンジョマ
5/3 ゴーキョピーク5357m登頂
5/2マッセルモからゴーキョ(4790m)へ
高地順応マッセルモでの滞在
5/5いよいよ下界、、、ビールで乾杯
5/4俗世へ向けての下山マッセルモからケンジョマ
5/3 ゴーキョピーク5357m登頂
5/2マッセルモからゴーキョ(4790m)へ
高地順応マッセルモでの滞在
Posted by 走るキンサク at 20:24│Comments(0)
│ヒマラヤゴーキョ5357m遠征報告