2008年05月31日
4/28ナムチエからモンラ(4150m)へ
朝.5時起床、何時ものとおりトイレへ調子は良い。前夜雨が激しく降り雷が鳴っていた。
脈拍は57、血中酸素83、体調は問題ないが矢張り後頭部が少し重い、この高さ3000以上で一日高度順応する予定であったが既にジョルサレ(2740m)で宿泊したので日程からその余裕は無くモンラへ向けて出発、今後これがどのような影響が出るか心配である。
昔来た懐かしい道を登り、クムジュン村へとの登り道の分岐点から山裾を平坦にトラパスしていく此処からヒマラヤ神々の山の展望が始まる、後ろにコンデ、谷向いに右手にサムセルク(m)、後ろにコンデ、左手上に聖山クンビラ(日本の金毘羅の元祖)前方にローッエ、その陰から顔を見せるサガルマーターピーク(エベレスト)、
その手前に乙女の首飾りと言われるアマダラム(m)左前方から近づいてくるタウチエ(m)、青空のキャンバスに白く輝く氷河の山々の大パノラマ、思わず手を合わせ崇める。 そんな中を歩くが昔と比べると道は整備され歩きやすい、途中手作業で道を整備している人夫がいる、その先にお坊さんが椅子に座り寄付を懇願している、これでこの道を整えているので坊さん道路と名が付いている。私達も浄財を寄付する、、、、払わないでは通過できない雰囲気である。
更に歩くと昔、掘建て小屋のお店があったケンジョマに到着、今では綺麗なロッチとなり昔の面影は無い、此処で昼食、天気も良く暖かいので外のテーブルで前面に聳え立つサムセルクを眺めながら昼食を取る、此処からこれから先の急斜面を横切りながらの登るが続く道が見える、頑張ろう。午後の出発!山一面が石楠花、花のトンネルを潜りながら行く、途中からカラパタール(エベレストBC)と我々が行くゴーキョーの分岐点に到着、我々の道は此処から登りとなる、道案内にゴーキョまで7時間と書いてある、我々はこれから5日掛けて行くのであるが、、、これは地元シャルパの足の速度、驚く!まるで新幹線、忍者である。崖道を登るにつれて高くなり下を見ると恐ろしい。前方にこの地方最大のゴンパ(チベット寺)があるパンボチエが見える、サムセルクのか陰になっいたカンデカの姿が見えてきた、ピークは四方が氷河で完全な絶壁に囲まれた山で登れるのだろうかと思うほどである、やはり難しくアタックする人は少ないようである。
ヘリの飛ぶ音が聞こえる谷間を飛んでいる、何度も繰り返し何かを探している、救助ヘリである(日本人の救助であったが残念ながら高山病で亡くなった)、ヒマラヤ鷲も飛んでい
る。前方にタウチエが近づき迫ってくる。先の峠が今日の宿泊ロッチモンラである。
午後3時に到着、ロッチからはグルット、ヒマールが見える、しかし峠の上で風が強く寒い、4時過ぎヤクの糞燃料のストーブに火が入り体が温まる。
此処は峠の上で水が無く下から女性がポリタンで汲んでくる、水は貴重でミネラル水は高くなり1L300円(ナムチエは200円)である、我々お客3人には魔法瓶一本のお湯が割り当てでありそれ以上は有料となる。トイレは流すのではなくボットンで枯葉で覆い狭い急斜面の畑へ落とし肥料にしている。
このロッチには4、5歳の子供がおり日本から持ってきた五勝手屋の円筒羊羹より、食べ残りのケースが珍しくオモチヤにして遊んでいた。夜寒いので湯たんぽを入れる事とする、朝はその水で洗面と歯磨きに利用する。夜8時就寝。
脈拍は57、血中酸素83、体調は問題ないが矢張り後頭部が少し重い、この高さ3000以上で一日高度順応する予定であったが既にジョルサレ(2740m)で宿泊したので日程からその余裕は無くモンラへ向けて出発、今後これがどのような影響が出るか心配である。
昔来た懐かしい道を登り、クムジュン村へとの登り道の分岐点から山裾を平坦にトラパスしていく此処からヒマラヤ神々の山の展望が始まる、後ろにコンデ、谷向いに右手にサムセルク(m)、後ろにコンデ、左手上に聖山クンビラ(日本の金毘羅の元祖)前方にローッエ、その陰から顔を見せるサガルマーターピーク(エベレスト)、
その手前に乙女の首飾りと言われるアマダラム(m)左前方から近づいてくるタウチエ(m)、青空のキャンバスに白く輝く氷河の山々の大パノラマ、思わず手を合わせ崇める。 そんな中を歩くが昔と比べると道は整備され歩きやすい、途中手作業で道を整備している人夫がいる、その先にお坊さんが椅子に座り寄付を懇願している、これでこの道を整えているので坊さん道路と名が付いている。私達も浄財を寄付する、、、、払わないでは通過できない雰囲気である。
更に歩くと昔、掘建て小屋のお店があったケンジョマに到着、今では綺麗なロッチとなり昔の面影は無い、此処で昼食、天気も良く暖かいので外のテーブルで前面に聳え立つサムセルクを眺めながら昼食を取る、此処からこれから先の急斜面を横切りながらの登るが続く道が見える、頑張ろう。午後の出発!山一面が石楠花、花のトンネルを潜りながら行く、途中からカラパタール(エベレストBC)と我々が行くゴーキョーの分岐点に到着、我々の道は此処から登りとなる、道案内にゴーキョまで7時間と書いてある、我々はこれから5日掛けて行くのであるが、、、これは地元シャルパの足の速度、驚く!まるで新幹線、忍者である。崖道を登るにつれて高くなり下を見ると恐ろしい。前方にこの地方最大のゴンパ(チベット寺)があるパンボチエが見える、サムセルクのか陰になっいたカンデカの姿が見えてきた、ピークは四方が氷河で完全な絶壁に囲まれた山で登れるのだろうかと思うほどである、やはり難しくアタックする人は少ないようである。
ヘリの飛ぶ音が聞こえる谷間を飛んでいる、何度も繰り返し何かを探している、救助ヘリである(日本人の救助であったが残念ながら高山病で亡くなった)、ヒマラヤ鷲も飛んでい
る。前方にタウチエが近づき迫ってくる。先の峠が今日の宿泊ロッチモンラである。
午後3時に到着、ロッチからはグルット、ヒマールが見える、しかし峠の上で風が強く寒い、4時過ぎヤクの糞燃料のストーブに火が入り体が温まる。
此処は峠の上で水が無く下から女性がポリタンで汲んでくる、水は貴重でミネラル水は高くなり1L300円(ナムチエは200円)である、我々お客3人には魔法瓶一本のお湯が割り当てでありそれ以上は有料となる。トイレは流すのではなくボットンで枯葉で覆い狭い急斜面の畑へ落とし肥料にしている。
このロッチには4、5歳の子供がおり日本から持ってきた五勝手屋の円筒羊羹より、食べ残りのケースが珍しくオモチヤにして遊んでいた。夜寒いので湯たんぽを入れる事とする、朝はその水で洗面と歯磨きに利用する。夜8時就寝。
仙人生活から3000m以下の俗社会ルクラ、そして帰国
5/5いよいよ下界、、、ビールで乾杯
5/4俗世へ向けての下山マッセルモからケンジョマ
5/3 ゴーキョピーク5357m登頂
5/2マッセルモからゴーキョ(4790m)へ
高地順応マッセルモでの滞在
5/5いよいよ下界、、、ビールで乾杯
5/4俗世へ向けての下山マッセルモからケンジョマ
5/3 ゴーキョピーク5357m登頂
5/2マッセルモからゴーキョ(4790m)へ
高地順応マッセルモでの滞在
Posted by 走るキンサク at 14:44│Comments(0)
│ヒマラヤゴーキョ5357m遠征報告