2013年04月24日
秀吉、名護屋城を攻め玄海の仮谷へ
今日は西唐津から呼子の秀吉名護屋城を攻め玄海の仮谷へ、昨夜は台風並みの強風と雨、今日のランが心配で寝付が悪かかった。朝、風が変わり弱くなったよう…しかし岬を超えると激しく吹くのでは…取り越し苦労するより、一期一会だよ、雨の対策をしなければとカッパ、靴、ザックなど準備をし雨の中を、何故、こんなに悪天候が続くのか?、女神が私を試しているのかな…私は[諦めない限り夢は叶う]の修行走ですと天へ語る、何と9時過ぎから雨が止み…女神が諦めたか…湊の立神岩へ到着、ここから昼飯の名護屋城後まで約10Kmと急ぐ、しかし東松浦先端越えの峠は長い登り、連続のアップダウンが呼子まで続く九州旅ラン最大の難所…ただ、ただ下向きに走る、なかなか呼子に着かない…測定の間違えか?、山の陰に大橋が見えて来たあれが名護屋大橋だ急ごう…呼子漁港に到着、しかし大橋は呼子大橋…尋ねる、位置が全然不明…ここはどこでしょう?、下向きランで標識を見落としたよう…5Kmほど遠回り、湾が入り込み道が複雑で尋ね、尋ね名護屋大橋へ到着、これを渡れば秀吉が朝鮮攻めの本拠地とした大阪城に次ぐ大きな名護屋の跡の博物館を見学、徳川、伊達、前田など全国の名高い殆どの大名に出陣させ大城下町を築きその数20万以上となり京都を凌ぐものであり、大阪城の金茶室を移設させ、茶、能を楽しみながらの戦をし撤退。秀吉晩年の最大の我が儘、あれほど立派なリーダーも老齢化には勝てなかった…気をつけよう。 後15Kmで玄海仮屋だ頑張ろう、玄海原発の前を通る、ビジネスホテル、関係企業の建物が多いが停止で人少なく静まり返っていた、やはり再起動が無ければ地域の崩壊に繋がる…少しと恋人の聖地、浜の浦の棚田…素晴らし日本の田んぼ風景、入江を周り仮谷着
玄海の向かいが今日の民宿、すぐにへ良い湯だな…、今日は予定より長く40Kmでした、明日からは武蔵Nの参戦と車でザックを運んでくることに…孤独走から解放!!、
Posted by 走るキンサク at 21:53│Comments(0)
│旅ランの感走記
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