いよいよチョロランマへ向けての旅立ち9/19

走るキンサク

2007年11月08日 12:07

●9/19 今日から5泊6日でチョロランマBC,ヒマラヤ山脈を越えネパールとの国境の町ザンムまで約1000キロ西遊記を私(三蔵)、息子金太郎(孫悟空)、ガイド(猪八戒)、ドライバー(紗悟浄)とランドクルーザー(白馬)で朝8時にラサを出発、その前に1人で朝ジョカン寺まで散歩し旅の安全の祈る、仕事前の朝のお参りで凄い賑わいである、バターを供え灯明にする、その煙で街中が煙で霞んで見えない、お陰で道に迷いホテルへ戻れなくなり聞きながらようやく戻る。先ず出発前に車へ給油、1L5元(75円)である日本より安いが、貨幣価値から考えると凄い値段である、しかしそれをすさまじい勢いで利用するこの中国の車社会、何故これだけの経済力があるのか?車は矢張り魔物の魅力か?ヒマラヤ山脈の北側の水をインドのガンジス川流すヤルッアンポ川沿いにゴンカル空港方面へ行く途中で検問ゲートがあり旅行許可書のチエックを受ける、更に曲水(チュシュ)でヤルッアンポ川にかかる長い橋を渡り隣の県に入ると叉チェツクを受ける、そこから右に曲がり農村を行くとカンバ峠(4750m)急な上り坂になり1000m位登ると峠頂上のタルチョがはためいている、それを過ぎると突然眼下にヤムドク湖、正に聖なるトルコ石の湖(標高4250m、面積は琵琶湖とほぼ同じで最大水深60m)である、一気に1000m上げてきたのでくらくらする、ゆっくり散策ししばし登ってきた峠の道と湖を眺める。来た道を戻り一気に1000M高度下る、ブレキーのデスクが焼け付き効きが悪い様で途中で冷却の水を掛ける、ものすごい蒸気が舞う。農家で日銭を稼いでいる。国道へ戻り叉川沿いに走る、昼食をこれから取ると言いながら急に車を止める、異なる隣の県での検問所がありチェツクを受けるが許可書の通過時刻は午後でありそれまで少し待つことのこと、兎に角旅行者のチェツクが厳しい。途中のレストランで麺昼食をとり午後更に車を進める、高い山からの泥流を避けながらその間に人々が住み農業営んでいる、荒涼の中に時折、林がありその側の菜の花畑がとても綺麗に見える。渓谷を抜けて西遊記の景色の砂漠のような地形、そこから急に道を外れ、乾季に入り干しあがった川道のオフロードの近道を走る、本当に砂漠を行く西遊記である。何も無い砂漠の中であるが小さな部落が有った、我々の車が来るのを知って子供達が家から出てきて物欲しそうに見つめている。それを無視して更に1時間ほど走り本来の国道へ出る、そこから今日の宿泊の街ギャンッエへ到着、この街は標高3950mでありチベットで8番目である、街中心の前にギャンッエ城が聳え立つている、先ずホテルの確保(ツインで4500円)をして城へ向かう、
お城への道は急で高度を考えて私は途中で止め戻る、息子は上まで登りきってきた。夕食はホテルでする二人で68元(1000円)、アサヒビールがある試しに飲んでみるが飲めない(高度)値段は一本30元(450円)で中国ビールの10倍で日本並である。息子は必要以上にホテルの女性から声をかけられる、日本青年男子は人気がある。この街も日本語は全く通じなく英語とチベット語である、ガイドが明日サキヤまで走り、計画を一日早めると言い出した、6日間のチャーターの契約でありお金は戻るかと尋ねると、我々をザンムまで届ける契約の請負であるから戻さないと言い出す。話は物別れであるがこれからの進みぐあいで検討することとして明日、シガッエ、サキヤと行く事にする。
バスとトイレ付きで有るが機能しないバケツで水を流す。どうもこれがチベット流でありボットントイレが普通でありこれが最高の設備のようである。

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