2011年11月30日
パリから


2011年11月29日
Fiフランス食品国際展示会の視察


2011年11月29日
フランス、パリのセーヌ川河畔より


2011年11月27日
今月200キロ、月末28日からフランスへ
・初冬の新川河川敷、道マラコースを走る、ここは北風が強く寒い、ダウンベストを着てスキーマラソン仕様で愛妻真由美と走る、足を痛め走れなかった真由美と久しぶりの夫婦水入らずで走る、、、11月22日の良い夫婦の日は過ぎたが仲良い夫婦で走りました、治りかけた足に気遣い5キロ、今月これで200キロになりました。
28日からフランスでバイオ展示交流会がFiがあり参加してきます、パリとツルーズですが日程はビジネスで一杯、走る時間は夜か早朝しかありません、セーヌ川の近くのホテルなので何とか時間を見つけフランスのランをブログへ送信します。
28日からフランスでバイオ展示交流会がFiがあり参加してきます、パリとツルーズですが日程はビジネスで一杯、走る時間は夜か早朝しかありません、セーヌ川の近くのホテルなので何とか時間を見つけフランスのランをブログへ送信します。
2011年11月23日
いよいよ本格的な冬のラン
23日、本格的な冬の始まり、スノーランシューズを履き真駒内公園へ、昨夜凍りついた路面が危ない、出かける時に家内が「転ばないように、、、年寄りなんだから!」、どうも何時も一言多い、今年はラン ベストの秋が無かったような感じがする、どうしてだろう?、9月、11月とラン旅に出かけて札幌に居なかった、、それと在札時は雨が多く秋晴れが少なかった、、何だか夏から一気に冬となり変な感じの年でした、しかし今日は青空、ラン日和でした、、、路面は悪いが、天気が良く15㌔走りました、今月はこれで195㌔、今週末から海外へ出かけます、、何処でしょう、そこからブログ期待してしてください、、、、
2011年11月20日
16.19日今月200キロを目指して
・16日体調も回復、今月丹後の旅ランだけで200キロを越える予定であったが、まだ150キロ、体も回復した何時もより距離を延ばして真駒内公園を回る18㌔を走る、冬の寒さも青空だと清々しく感じる、走り初めnKTさんの後ろ姿を見たが早くて見失う、公園内を逆走すれば会えるだろうと、、、しかし遭遇しない、、、何処へ行ったのか?、
・17・18日釧路の元太平洋炭鉱、現在のコールマインの炭鉱へ潜り石炭採掘の現場を見学、陸から傾斜5度の人車の乗り海底から約200mの下の坑道へそこからヘットランプを頼りに1.5㌔歩き採炭現場へ世界最新の採炭マシンでの採炭を見学、高さ2mの石炭層を200mの幅で回転カッターで削りベルトコンベヤーで陸へ運ばれている、採炭切場は崩落を抑える支柱も無くマシンで抑え採炭をしながら移動しその後は自然崩落して埋める、大型のマシンを僅か4名で24時間3交代で操作し年間50万トンを採掘している、安全性を第一に徹底した効率化を機械力とシステムでコストの削減を行い輸入炭の3倍の価格を現在はコスト削減と輸入石炭の高騰で価格ほぼ同じまでしている、合わせて海外の炭鉱技術者の研修の受け入れをしている、道内にはまだまだ未採掘の石炭資源が大量に眠っておりこの技術は日本のエネルギー不足を補う事に貢献できると思う。坑内に入るには粉塵などで汚れるので下着靴下、マスク、作業服すべてを着替え、戻ってから炭鉱の風呂が用意されており入浴した、坑内は暗くあまり粉塵は感じられなかったがマスク、タオルの汚れから体は相当汚れていたのだろう、大きな浴槽が2つありそれに1・2と番号があり最初に1番への入浴の順番が決められている、しかし我々はそれを知らず2番に入りお湯を汚してしまった、、、、ごめんなさい、、、
海底から200mの下で見学していたので海水の流入があると思ったが全く無く驚きました、又釧路沖は地震の多い所であり地震の影響はと聞くと震度5度でも坑内は殆ど感じないそうで心配はないとのことでした。
・19日、朝6時半東京から武蔵Nが雨の中自宅へ、、、雨の中は流石の武蔵も弱音を吐き中止の電話があるのではと7時の予定で待ちかまえていたが雨も小雨から止み30分も早く武蔵参上、、、宿泊のホテルまで世間話で走る、ホテル近くから雨、帰りは土砂降りの雨、ゴミ袋を被るが手袋は濡れ首から雨が入り冷たい、急いで走り体を温めるが信号待ちでは冷える、向かい風となり更に冷たい、今月は丹後もそうだったが雨に傷めつけられる、気合を入れ急ぎいえへ戻り風呂へ、、、京王プラザ往復12㌔でした。これで今月181キロ、200キロは超えれるだろう、、、
・17・18日釧路の元太平洋炭鉱、現在のコールマインの炭鉱へ潜り石炭採掘の現場を見学、陸から傾斜5度の人車の乗り海底から約200mの下の坑道へそこからヘットランプを頼りに1.5㌔歩き採炭現場へ世界最新の採炭マシンでの採炭を見学、高さ2mの石炭層を200mの幅で回転カッターで削りベルトコンベヤーで陸へ運ばれている、採炭切場は崩落を抑える支柱も無くマシンで抑え採炭をしながら移動しその後は自然崩落して埋める、大型のマシンを僅か4名で24時間3交代で操作し年間50万トンを採掘している、安全性を第一に徹底した効率化を機械力とシステムでコストの削減を行い輸入炭の3倍の価格を現在はコスト削減と輸入石炭の高騰で価格ほぼ同じまでしている、合わせて海外の炭鉱技術者の研修の受け入れをしている、道内にはまだまだ未採掘の石炭資源が大量に眠っておりこの技術は日本のエネルギー不足を補う事に貢献できると思う。坑内に入るには粉塵などで汚れるので下着靴下、マスク、作業服すべてを着替え、戻ってから炭鉱の風呂が用意されており入浴した、坑内は暗くあまり粉塵は感じられなかったがマスク、タオルの汚れから体は相当汚れていたのだろう、大きな浴槽が2つありそれに1・2と番号があり最初に1番への入浴の順番が決められている、しかし我々はそれを知らず2番に入りお湯を汚してしまった、、、、ごめんなさい、、、
海底から200mの下で見学していたので海水の流入があると思ったが全く無く驚きました、又釧路沖は地震の多い所であり地震の影響はと聞くと震度5度でも坑内は殆ど感じないそうで心配はないとのことでした。
・19日、朝6時半東京から武蔵Nが雨の中自宅へ、、、雨の中は流石の武蔵も弱音を吐き中止の電話があるのではと7時の予定で待ちかまえていたが雨も小雨から止み30分も早く武蔵参上、、、宿泊のホテルまで世間話で走る、ホテル近くから雨、帰りは土砂降りの雨、ゴミ袋を被るが手袋は濡れ首から雨が入り冷たい、急いで走り体を温めるが信号待ちでは冷える、向かい風となり更に冷たい、今月は丹後もそうだったが雨に傷めつけられる、気合を入れ急ぎいえへ戻り風呂へ、、、京王プラザ往復12㌔でした。これで今月181キロ、200キロは超えれるだろう、、、
2011年11月13日
弱った体を元気に、、、
11月12日、丹後でやられた体の回復を昨日は試したので今日は鍛えようと真駒内へ、昨日に続き青空で清々しい、来週から本格的な冬の到来のようでありラン日和を楽しもう、途中前からKTさんが久しぶり、、、元気かと心配してくれていた、、、ありがとう、お互い年だから気をつけなければならない、、、、いよいよ雪のシーズン、、、今年も残り少なくなりました、それと年明け3月で満70歳人生も残り少なくなってきた、、、、今年は国難の年でした、来春からはそこからの立ちあがる日本、その姿を見とどめなければあの世へは走って行けない、、、、今月151キロです、計画では200キロは超えているはずだが、、、残念蟹を恨みます。
2011年11月11日
11日病み上がりからの試し走

11日札幌へ戻り5日体も順調、久しぶりの青空、ここ2週間位さわやかない青空を見た事が無かった。
体調を確認するには絶好な日和、真駒内公園へ、順調であるこんな調子ではもう一度丹後へ行き残りを走りたい。
真駒内で先輩のSDさんに声を掛けられ久しぶりの挨拶、私より10歳も目上のマラソンの大先輩であるが、今年は春から体の調子がおもわしくなく走りを控えていたようである復活して再度フルに挑戦すると意気込み、80歳です、それもサブ5ですよ、恐れ入ります。私も頑張ろう!、ミュウヘン橋が初冬の日差しを浴びて凛々しく素晴らしい。
帰り私の前をランザックを背負い走っている女性が、、、脹脛の色の黒さからかなりの走り込みと見受ける、、私と同じく旅ランで札幌へ来たのかと、、、どちらまで走るのですか?と声を掛ける、札幌の山の手、真駒内往復とのこと、今年のサロマ、北オホーツウルトラ、道マラ等完走の兵でした、それも2児の母です、走りながら買い物をしているのでザックを背負っているのとの事でした、子育てをしながらとは素晴らしいのと感心しました。女性は強いですね。
2011年11月08日
丹後、若狭湾ラン旅の思い。。。
[若狭丹後沿岸]感走の川柳?。。。走るキンサクの心の詩。
・福井県から京都丹後の胸膨らむ高浜からの旅立つ気持です、、、、
「晩秋の潮風と紅葉で彩る夢玉手箱、足で楽しむ若狭湾道かな。」
・11月初旬の夏日で色欠いた晩秋を柿と蜜柑で彩りしてました、向かうわ浦島太郎伝説の浦、雨の中それを力に、、、
「遅き紅葉色を欠き、柿、蜜柑で彩る丹後の里、秋雨の足も安らむ舟屋浦島の浦、」。
・越前、舞鶴、間人のブランドガニ解禁11月6日、その絶品は間人(たいざ)ガニそれを楽しみに6日到着の京丹後間人へ走る、しかし解禁初日はプレミヤ価格で1尾最低でも1万円から2万円の値、私の宿泊ホテル(12000円)では冷凍蟹(北海道紋別?)、
間人蟹は無理であるが幻の蟹と思いカニ料理に食らいつき腹を壊しました、、、、疲れ、秋雨の寒さ、蟹味噌、ビール、食べすぎ、などが祟り119番でした。
「蟹解禁、卑しい心の身も知らず、壊れて知る馬鹿の腹。」
・福井県から京都丹後の胸膨らむ高浜からの旅立つ気持です、、、、
「晩秋の潮風と紅葉で彩る夢玉手箱、足で楽しむ若狭湾道かな。」
・11月初旬の夏日で色欠いた晩秋を柿と蜜柑で彩りしてました、向かうわ浦島太郎伝説の浦、雨の中それを力に、、、
「遅き紅葉色を欠き、柿、蜜柑で彩る丹後の里、秋雨の足も安らむ舟屋浦島の浦、」。
・越前、舞鶴、間人のブランドガニ解禁11月6日、その絶品は間人(たいざ)ガニそれを楽しみに6日到着の京丹後間人へ走る、しかし解禁初日はプレミヤ価格で1尾最低でも1万円から2万円の値、私の宿泊ホテル(12000円)では冷凍蟹(北海道紋別?)、
間人蟹は無理であるが幻の蟹と思いカニ料理に食らいつき腹を壊しました、、、、疲れ、秋雨の寒さ、蟹味噌、ビール、食べすぎ、などが祟り119番でした。
「蟹解禁、卑しい心の身も知らず、壊れて知る馬鹿の腹。」
2011年11月08日
神戸で元気に回復、走りに出かけたい、病み上がりは諫めない




