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プロフィール
走るキンサク
走るキンサク
 氏名    橋    金作
        走 る キンサク(76歳)

●主な役職
株式会社エコニクス創業相談役
㈱沿海調査エンジニヤリング相談役、 
(財)電気保安協会 理事、
(元)北海道経済連合会常任理事
●趣味スポーツ歴
・日本海沿岸走5800㌔走破
 北海道沿岸道3000㌔走破、
 青森竜飛岬から青森・秋田・山形・新潟・富山・石川・福井・京都・兵庫・鳥取・島根・山 口・福岡・佐賀・長崎県野母崎の日本海沿岸2800㌔走破、九州最南端佐多岬ヘ、青森大間崎から太平洋沿岸久慈海女ちゃん小袖浜へ更に陸奥海岸復興視察ランで女川へ
・サロマ100㌔ウルトラマラソン4回完走、
・札幌スキーマラソン50キロ15回完走、
・オホーック85㌔スキーマラソン11回完走、
・ヒマラヤ カラパタール5545m、ゴーキョピーク5357m登頂。
・エベレストBCへ2度(チベット側チョロランマ、ネパール側サガールマーター)
・国際潜水教師協会理事(NAUI)元インストラクターDr、
・他に北海道、東京、ホノルル、洞爺、千歳、網走等のフル、利尻一周55㌔マラソン等など完走、自転車、水泳、カヌーなど
平成 2018年 3月 現在
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2007年11月27日

11/24.25老靴に感謝して11月最後の走り

11/24ランシューズの嘆きを聞く
今日は朝から暖かい、午後3時過ぎからミューウヘン橋までの往復10㌔を走る。路面は融けて滑らないだろう、示唆しぶりにニューバランス962のランシューズ引っ張り出して走ろう、この靴は北海道沿岸走の後半1000キロとその他を含めて1500キロを一緒した懐かしの履きなれた私のマシンであり戦友でもある、靴底は私と同じく磨り減り、やつれた老シューズである。
しかし夕方でモイワ山が西日を遮り日陰は融けて凍りアイスバーンで滑る、老靴へ滑るから気をつけようと宥めながらそろりそろりと走る、磨り減ったお前には無理かと労わる、この靴にも多くの負担を掛けたな、、、労は如何ほどかと考える、私の体重を60㌔(実際には63㌔)で1歩の靴底に掛ける衝撃はその3倍とすると180Kg、歩幅70cm(私はベタ足走で歩幅が狭い)とすると1㌔の歩数1430歩で衝撃重量は260トン、100㌔26000トンとなり1500㌔で三千九百万㌧の総重量の走激、片方でその半分一千八百万トンを掛けた事になり、磨り減ったと言えども良くも耐えたな、、、そして今でも走れる。文句も言わず、机も叩かず、コップも投げず、よく辛抱しているお前は偉いな、、、ご苦労さんと声を掛け感謝する。それに引き換え主人は、文句を言ったり、止めなさいとの悪魔の囁きを期待したり、歳だからと逃げたり、色々な言い訳が多すぎる、肉体の叫びに、心が惑わされる、まだ真の魂根性を発揮していない、、、靴に見習え!
そんなことを考えていたら突然!すべり転びそう、靴の悲鳴か?暗くなると寒いな、、、、風呂へ
11/25 寒い身体を松傘と銭湯で癒す。
今日も暖かい、11月末なの」との声に励まされチョロランマBCの日記を整理する、高地5200mで書いた数行の文は意味不明で読むのに通訳がいる、高地でなければ理解できないようである、午後、昨日円山公園で見つけた松傘を(ストーブの火付け)拾いに行く、雪の中から傘の顔をだしている、拾い集めるが手が冷たい、かじかむ、、、籠一杯拾い帰る、、、、これが良く燃え薪への火付きが良く助かる、家では灯油を節約して温暖化を抑制する運動として間伐材廃材などの薪を炊いている。夕方から女房がゆっくり風呂につかり癒したいとスーパー銭湯「花湯づき」へ行く、それではと私は着替えなどを女房に持たせ先に行かせ、ロープウエーから円山、琴似と遠回りして1時間ほど9㌔走って銭湯へ冷えた体に湯が染み渡り極楽です。今月141㌔  

Posted by 走るキンサク at 11:04Comments(1)11月の走り

2007年11月25日

9/22チョロランマ8848mBCへ

●9/22テンリーからチョロランマBCへ
脈拍59、ここ4200mでの高地での順応はOKで息苦しさ頭痛も立眩みもない。
ここ数日は日記を書くのが億劫になり思考力が低下しているのを感じていたが今日は朝早くから書くことができる。ほぼ完全に高地に慣れてきたのがわかり安心、いよいよ今日BC5200mへ行き宿泊するのが楽しみである。今回の旅の最大の目的はチョロランマBCでヒマラヤ氷河の現状観察であるが、もうひとつは息子の人生教育「真の自分とは?、人生とは?」を語り合い考えさせる機会と時間をつくることであり、不肖の孫悟空へ旅を通して生き方を教える三蔵法師、走る金作である・・・・これに適した最高の場、チモランマ眼下で「心も肉体も自分自身ではない、自分と思っている心は、思い考え運動機能であり肉体を感じるところである。心の思考機能、と肉体の運動機能を意識しコントロールする不屈の力を備えた己、魂が真の自分である。」これを語り人生観を確立してやろうと今朝暗いうちから思案する、これもチベット仏教の影響か、、、、
空はあくまでも青く、山肌は赤茶、青と赤茶の見事なコントラスの荒野をテンリーからネパールへの国道を5kmほど走りチョモランマへの道を左折、少し行くと中国軍の厳重なゲート、全員降り事務所へ、一人ずつパスポート、許可書のチエック、車の窓ガラスがきれいでなければ通過させてくれないのでドライバーは真剣に窓をふく(国境警備兵が遠くからでも車内が見えるよう)車のチエックもOKで通過許可がでる、ここから最後の峠をめざす、小さな部落のゲートが更に有り、ここでチョモランマへ入るチケットを出し通過、車は土埃を舞いあげ唸るように峠へのスネークロードを曲がり続けながら登る、勿論砂利道であり算盤の上を走っているような懐かしい道である、これでも最近整備された道のようですぐ脇に昔の道があり更に厳しい悪路で有った事を想像させられ文句は言わないで感謝する、さすがに日本のトヨタランドクルーザー4500ccである、振り返ると遠くに青空の荒野に来た道をなぞるように土埃の茶色の一筆書きの龍が描かれていた。赤茶けた峠が地近づいてきたしかし更に上に道がある、マラソンで峠を越える時もあの上りの先に、いやあのカーブの先にと思い走っていたことを思い出す、峠からのチョロランマの雄峰はどんな姿だろうと焦る、ジープは唸る、峠の頂上へ登り切る車の鼓動が伝わる、前方一面が一瞬、青い空に変わる、登り切った、全面中央にチョモランマ、右にチョオユー、シシヤパンマ、左にマカール、ローツエ世界8000mの雄峰13座の5座が微笑んでいる、車から降りて歩きたいが急には動けない、少し馴らして周辺を散策、兎に角5000mではゆっくり、、、ゆっくりが肝心。しばし山々を呆然として眺めていたら息子が時間だと知らせに来た、、、ドライバーが急かせているようだ。ここから一機に峠のスネークロードを下り数件の食堂があるタジソン部落へ、丁度ここ辺りが昼ごろになりこの先には食事ができる所はないのでで昼食をとる、バター茶を飲み高地に備える、暖かい事を期待して麺類を注文する、矢張り温い、トイレへを探すが見当たらない、案内されたところに梯子がありそれを登る、屋上に小屋があり中へ穴が2箇所あり側に土が盛られている、用を足し備え付けのスコップで土を被せる、確かに臭くない土の消臭力は凄い、勿論この屋上には水は無い。
この部落は数件の食堂がある小さい部落であるが、携帯電話(中国)は通じ多くの人が利用している、ガイドがこの食堂に電話を忘れ蒼くなって引き返した、しかし無事有ったので皆で安堵した。
生活用品を満載にした大型トラックが止まっている、この峠を越えて来たと思うと恐ろしさを感じる、ここから先は我々の行くBCでありこんなに多くの物は必要としないはずである、しかしここから別れネパールナムチエ村(ヒマラヤシエルパの村、カトマンズから約10日かかる)へ徒歩でヒマラヤを越えして担ぎ上げる闇ルートチベット側の最後の部落まで運ぶトラックの様である。チョモランマ氷河から流れる川沿いに道を登る、ここあたりはグーグルアースで眺めていたので道筋がわかり衛星の凄さに驚く、突然目の前に8848mのチョロランマの全容が午後の西日を浴びてか輝いている、それに向いどんどん車が走る刻一刻と近づき3000数百mのほぼ垂直に見える白く輝く氷河が迫る。世界で最も高いところにあるお寺ロンボク寺(5000m)を横目に更にBCへ向けて登る、ベースキャンプの3㌔は手前の道路の両脇にそれぞれがホテルと看板を掲げたチベットテント(夏から10月中まで)が数十軒、軒を連ねている
ここが今夜の宿泊テントである早速、物色をして寝床を確保する、表は汚く掘立て小屋の様であるが中はチベット式の雑魚寝ドミトリーで綺麗である、
電灯は無くに日中のソーラーパネルで充電して夜蛍光灯を灯す、暖房はヤクの糞を乾燥させ崩した紛を燃やす、子供の頃の粉炭ストーブであり懐かしい、これで食事の支度もする。トイレは共同でありブルーシートで囲まれているが、川の上に板を引きその板の間で用を足す、5列ぐらいの穴があるが只床に空いている、丁度釣り橋の上で用を足す、揺れて恐ろしい、そして夜は電気も無く暗く、落ちそうになり恐ろしく揺れの少ない一番端で済ませた、それは恐ろしい、恐怖である。むしろ野外の岩陰の方が安全であるが、罰金、10元の看板がある。ここからBCへは車は入れない、チベットの地元へお金を落とさせる観光振興策で馬車の利用である。何台もの馬車が待機して客引きをしている、料金は1人往復80元、馬車追いの親父は観光ずれして中々であり帰りの時間を指定して彼らの都合の良いロテーションでこちらの要望を聞かない、途中まで馬車に親父も乗っていたが流石登りとなり馬と一緒に歩き出した、氷河が押し出した岩石の山モーレンを登りBCへ3㌔と聞いていたがそれは直線距離であり焼く5㌔あり一時間ほどかかり、中国軍の旗がなびくBCへ到着、ここから更に徒歩で歩く、遠吠えが聞こえる、狼である、中国の兵隊が銃を持ち警戒する、幾ら見ていても飽きない、北西壁でありに夕方の赤みを帯びた西日が全体を照らし3000数百mのとてつもなく大きな氷河の壁、ピークはニッコリと笑う神の顔の様である、只呆然と立ちすくみ拝みたくなる。この90度裏にある14年前のネパールの南西壁を思い出す、写真右が93年サガルマーター(ネパールの呼び名千人が亡くなる被害が出ているようで、雨が多ければヒマラヤは氷河が発達するのが理解できる、チョモランマピークからここBCまで富士山の高さと同じ、真白い氷の壁である。
もはや帰りの馬車が迎えが来る時間である、残念であるが戻らなければ、馬車が既に待っていた、帰りは下りで早い、途中急に雲が出てきて温度が下がり霙となる、テントに近くまで下がると晴れてきた、更にテント前から暗くなるまで雄峰を眺めていた、素晴らしい、もうに一泊したいくらいである、
夜、食事のメニユーが出されるがどれも高地障害もあり食欲が湧かない、
ここで日本から持ち込んだレトルトのお粥と卵スープ、それとシバ漬け、ホタテの貝柱、を食べることにする、貝柱をチベットの人々へもお裾分け、彼らには中国料理の高級食材である事は分かっていない様で喜ばない。
矢張り我々最後の切り札日本食で元気を整える、ここの高地はチベットのガイドも頭痛がするらしく私が飲んでるサプリとラサで買ってきた高原薬を欲しがる、残り少なくなっていたが分けてやる。食後何もする事は無く早々と寝る支度をする、寝厚いウンモウの袋で暖かい快適、寒いのではと心配していたが全く心配は要らない。早く眠る・・・・・  

Posted by 走るキンサク at 19:51Comments(0)走る金作チベツトを行く西遊記

2007年11月23日

村上春樹「走ることについて語るとき、、、」を読んで走る語り。

●11/23
朝起きたら一面真っ白、10センチは積り今日の走りを室内走か、いや外かと戸惑う。先週は銀杏の落ち葉一面の黄色い柔らかい絨毯の上を駆けた、今年初めての純白の新雪を走ろう、夏眠させていたスノートレシューズを出して円山公園一周からモイワロープウエーの10㌔コースを走る。朝は特に寒い、クロカンスキ-ウエアーを着て足元に気を付けながらゆっくりと走り身体をアイドリング、新雪が靴のそこにへばり付く、北風が顔を叩く、朝の寝ボケが目を覚ます、ウインドブレカーのファースナーの間からの風が胸の中心から一直線に冷やす、まだこの寒さには身体は慣れてなく驚いている。公園に入る頃には朝日が輝き身体も温まり、落ち葉の上に積もった新雪が更に柔らかく靴底を包むようで優しさと清清しさを感じる。昨夜読み上げた村上春樹さんの本「僕の走るを語る、、、」を思い出しながら、、、、サロマ100を完走したのは私と同じ第11回大会の96年度で一緒だったとは驚き、彼は11:43、私は12:05で23分の遅れてであるが何処で抜かれたのか、その後のサロマの勝敗はと考えたが彼はサロマの神に恐れを成したのか参加してない、今だ50代後半で若いはずだが、、、しかし60歳に迫ってきた06年「8章死ぬまで18歳」、07年「9章少なくても最後まで歩かなかった」はマラソン哲学に味が出てきたように感じる。
村上さんから私に貴方は何故走るのかと聞かれたら何と返答するだろうか、、、
寒風が突然顔を叩き、如何ですか!と声をかけられたように感じ慌てて考える。
私は、何故走るのか今までも考えた事があったが、65歳の今、走りの足跡をたどり考えながら走る、、、結局私にとり走りは人生であり、生きること、挑戦、冒険であり、生きてる証だと思う、しかし今日のランの1時間程度で結論を出すには軽率と思う、今一度じっくり考えてみよう。 
今月122キロ・・・春樹さん蝦夷ランナーは雪の中も走ります。
  

Posted by 走るキンサク at 16:55Comments(1)11月の走り

2007年11月22日

寒風ラン東京女子マラソン応援走

11/24、東京からラン仲間が来てマラソンのお誘い、朝家からK氏のホテルまで4キロ走り迎えに、そこから豊平川河川敷をミュウヘン橋まで往復12㌔走る。チベットの土産話を語りながら走る、天気もよく冬の青空に寒風が撫で弛んでいる顔を引き締まる、温まり冷やされ紅顔の美老人、いや仙人だ!
そんなことを考えていたら戻る橋を行き過ぎ次まで走る、ホテルへ来て宿泊者で無いのにずうずうしく水をもらう。そこから家まで4キロ走り明日の女子マラソンは野口か渋井かを考える、二人とも競り合いい大会新を出し二人北京へ、、、こんなのどうでしょうか。彼女達はフルだからこちらはせめてハーフにしなければと家の周りを1㌔走り21㌔とする。頑張れ東京女子マラソン!  

Posted by 走るキンサク at 14:30Comments(0)11月の走り

2007年11月19日

チョモランマの入り口テンリーの村へ

●9/21 サキヤの朝何時ものように5時(チベット時間3時)過ぎ起床、脈拍60順調、しかしゆっくり朝の体操。人影は無く野犬がタムロしている、暗い朝7時(チベット時間5時)に町に音楽が流れる、同時にホイッスルを吹き鳴らしながら歩く人がいる、どうやら北京時間を告げている様である。8時になりようやくシャワーのお湯が出る何日ぶりかで浴びる。ホテルで朝食を済ませ代金を払いお釣りを待つ、ウエトレスがお金を持ったまま出て行く、戻ってこない、、、5分ぐらいして両替して戻ってきた、そこからお釣りを戻すシステムでレジにはつり銭は入れていないようである、どうも引き算は苦手のチベット式である。今日はここサキヤから登り5250mのラクバ峠を越えてチョロランマへの入口の村テンリーへ向かう、峠付近で放牧生活しているらしいチベットの若い女性に会う、衣服も顔も汚れ女を感じさせない、特にこの高度では尚更である。
遠くに世界の屋根チョモランマ、ロツエー、マカール、チョオー、シシヤパンマの8000m級のヒマラヤが連なって見える、これからその麓まで行くとどんな迫力で迫って来るかと思うと何かワクワクする、しかし5200mの高度では空気が薄く口に入ってこない感じがする、興奮しないようあまり動かずゆっくりと、、、眺める。
ここから一気に下り、荒涼とした茶色一面の原野の中のチョモランマ入口のテンリー村に昼過ぎ到着、昼食後ホテルを探し交渉しイン、この村にはチョロランマへの入場券と買う事務所がある、1人180元、車は300元、で旅行許可書を見せて買う。村は矢張り汚く、馬車と車、三輪車と単車である、ゴミは多く、川は捨て場となっており矢張り昔の日本と同じである。この田舎でもミネラル水は何処の店でも売っている、1.5L7元(息子が買うと5元)電池は高く単三アルカリ(中国製)8本で60元(900円)性能が悪く使い物にならない。村の人々は廃墟のような住宅に見える日干し煉瓦の家に住んでいる、みすぼらしく見えるが、しかし家の材料は地場資源を使う事がどの民族も原則でありこれが当たり前であろう。彼等から見たら日本の家は、4、50年の耐用年数で燃えるような木造はやはりみすぼらしく見あるのであろう、しかし私は泥の中で生活は合わない。ここに最近日本でも売られているコラーのような飲み物「赤い牛」のボトリング工場(水豊富)が建設されていた。山々からの水が豊富でこの村の近くには水力発電所が数箇所ある、村には電柱もあるが一般の家へはあまり電気が引かれていないようである。
夜、夕食後のミーテング、急にガイドが24日にザンムへ着くようにニャラムで宿泊すると言い出してきた。昨日会社へ旅行契約の確認をするようにと言っておいた事が効いたのか、これで安心、明日はいよいよチョロランマのBCへ
14年前の93年にネパール側のサガルマーター(ネパール語)BCへ10日間歩いて尋ねたその反対側の南西壁を崇めて来たが、、中国側の北西壁はどのようであるかと思うと寝付けない矢張り高度の影響からか、ここ数日思考力が落ちて日記を書くのが億劫である。
  

Posted by 走るキンサク at 13:49Comments(0)走る金作チベツトを行く西遊記

2007年11月11日

11/10.11 走る事を語る、、、春樹の本を買いに走る。


●11/11今日は1111の連続で良い良い日で何か良い事が有りそうな日。
朝N先生より℡、私にビッタリな本がある読むべきと連絡、それは村上春樹さんの新書で「走る事について語るときに僕の語ること」である、走りを語り続けている私の語りの参考にしろとの忠告であろうと買うことにした、題名からも走る金作としては走って買いに行かねばと家から5㌔先の本屋まで雨模様であるがランザックにカッパを入れ買いに走る、往復10㌔走り昼から女子駅伝も観戦しながら前書きをめくる、日頃の私の語りと良く似たことが書いてある、「痛みは避け難いが苦しみはオプションである」ああキツイ苦しいもう駄目だと感じるのは自分の受け方で裁量である、、、マラソンは心の置き所です。これから続きを読みます、矢張り良い日でした!N先生有り難うござました。
●11/10先週のラン後から右足の甲の間接に違和感がある、平日の走りを中止して足休めをしていた、まだ少し違和感があるので底の厚い靴で真駒内公園往復15㌔を走る、矢張り冬で寒くランナーは少ない、昨年は今ごろホノルルマラと東京マラを目指し目標を持っていた、来年の東京も落選でチベット旅行も終わり気が抜けている、、、何は目標を持たなければ行けない!  

Posted by 走るキンサク at 16:17Comments(2)11月の走り

2007年11月11日

9/20,標高3950mの町チベットのギャンッエ

9/20ギャンツエの朝脈拍63、ラサと変わらない。朝6時であるが暗い、北京と本来は2時間の時差があり実際には朝4時である、外を見ると野良犬だけがうろっいている。
8時(実際は6時)子供たちが学校に行く(北京時間で開校)、親が子供をバイクで送る姿が見える。朝食を街の食堂でお粥に饅頭を入れ食べる。
・朝9時出発の時間になってもドライバーが来ない、どうやら昨夜飲み過ぎた様である。
ヒマラヤ山脈の北斜面を水源とするヤルッアンポ川沿いに上流へと走る、ラサからこの川沿いに懸命に植林している中国の姿勢が伺える、この国道は最近高速道に整備され快適に走る、しかし日本の一般国道レベルである、途中検問を受け昼前にチベット第二の都市シガッエ(人口周辺もいれ100万)に到着、都市開発が進められラサより活気がある、レストランも綺麗であり美味い、本来はここで一泊するはずであったがドライバーは先を行きたがりこちらの思うようにしてくれない。
この町のタルシンポ寺を息子と二人で見学、今チベットで最も活発な寺院であり約1000人の多くの僧侶が生活している。寺院は綺麗であり中国政府が10億掛けたて建立した霊塔はきらびやかに輝いていた、しかし写真撮影は約2000円取られた(とんでもなく高い!)寺院内にソラー湯沸しが多く見られる。
寺院の道路で僧侶が屈んでいる、その目つきから何か呪文でも唱えているのかと思い眺めているとそれは小便をしていたのであった、寺院の中の僧侶などの生活はのどかである。午後サキヤへ向けて走る、ランツエの手前にシチン温泉があるのでそこで入浴していく事にしたがドライバーが計画書にないとこちらの要望を受け付けない(毎朝煙草などチップ代わりやり機嫌を取っていたが)、どうもガイドよりこちらではドライバーが偉いようである、兎に角早くザンムまで行き帰りたいようでサービス精神はなくノルマを達成する事だけである。
温泉は諦めてサキヤへ向かう、山肌が泥で赤味かかった荒涼とした風景の中をはしり小さな村、標高4200mのサキヤへ到着、早速ホテルを確保してサキヤ寺を見学へ細い道を歩き山の沿うようにある北寺を上る、寺の仏像を写真に納めると坊さんが見せれと言うので見せると突然、液晶画面へ向いお経を上げだした、終えると仏をもって帰っても良いとOKが出た。更に別の寺、南寺へ、ここは城壁に囲まれた要塞のような寺である、ここサキヤ派の寺は白と黒の色彩で独特である。ここの村は流石、四輪自動車は少なく若者はオートーバイである、しかし若者は携帯は持っている、村の道は泥道でゴミ(プラ系)が散乱している。中心街の路上で立小便をしている女性の姿が見られる、子供たちは我々観光客は物をくれる人であり付きまとう、しかしその要望はお菓子類ではなくナネー、ナネーの連発、写真を取ると必ずマネーを要求する。しかし小さな子供はカメラに収まっている自分自身を見たくせがむ、10数年前までは飴等お菓子などをせがんで付きまとってきたが、今はキャッシュ、現金である長年変わらないチベット文化と現在社会が混在してそれなりの社会が形成されている。50年以上掛けて今日まで来た私の頭は切り替えができない、何か見ているだけで頭は混乱し疲れる。村の南にあるサキヤ南寺(要塞の様な城壁に囲まれている)を見学、パキスタンからチベット入りして1人で自転車旅行しているフランスの女性に会う、勇気と元気に驚かされると同時に許可書はどうしたのか?(パキスタンからは何故か入りやすいようである)。
夕食はガイドと同じカレー定食風なものを食べるどれも温くて美味くない、明日からの予定を打ち合わせ、契約と違うと説明するがドライバーがどうしても一日早く帰りたいようである、契約したラサの会社へ相談しろと言って別れる。
  

Posted by 走るキンサク at 15:41Comments(0)走る金作チベツトを行く西遊記

2007年11月08日

いよいよチョロランマへ向けての旅立ち9/19

●9/19 今日から5泊6日でチョロランマBC,ヒマラヤ山脈を越えネパールとの国境の町ザンムまで約1000キロ西遊記を私(三蔵)、息子金太郎(孫悟空)、ガイド(猪八戒)、ドライバー(紗悟浄)とランドクルーザー(白馬)で朝8時にラサを出発、その前に1人で朝ジョカン寺まで散歩し旅の安全の祈る、仕事前の朝のお参りで凄い賑わいである、バターを供え灯明にする、その煙で街中が煙で霞んで見えない、お陰で道に迷いホテルへ戻れなくなり聞きながらようやく戻る。先ず出発前に車へ給油、1L5元(75円)である日本より安いが、貨幣価値から考えると凄い値段である、しかしそれをすさまじい勢いで利用するこの中国の車社会、何故これだけの経済力があるのか?車は矢張り魔物の魅力か?ヒマラヤ山脈の北側の水をインドのガンジス川流すヤルッアンポ川沿いにゴンカル空港方面へ行く途中で検問ゲートがあり旅行許可書のチエックを受ける、更に曲水(チュシュ)でヤルッアンポ川にかかる長い橋を渡り隣の県に入ると叉チェツクを受ける、そこから右に曲がり農村を行くとカンバ峠(4750m)急な上り坂になり1000m位登ると峠頂上のタルチョがはためいている、それを過ぎると突然眼下にヤムドク湖、正に聖なるトルコ石の湖(標高4250m、面積は琵琶湖とほぼ同じで最大水深60m)である、一気に1000m上げてきたのでくらくらする、ゆっくり散策ししばし登ってきた峠の道と湖を眺める。来た道を戻り一気に1000M高度下る、ブレキーのデスクが焼け付き効きが悪い様で途中で冷却の水を掛ける、ものすごい蒸気が舞う。農家で日銭を稼いでいる。国道へ戻り叉川沿いに走る、昼食をこれから取ると言いながら急に車を止める、異なる隣の県での検問所がありチェツクを受けるが許可書の通過時刻は午後でありそれまで少し待つことのこと、兎に角旅行者のチェツクが厳しい。途中のレストランで麺昼食をとり午後更に車を進める、高い山からの泥流を避けながらその間に人々が住み農業営んでいる、荒涼の中に時折、林がありその側の菜の花畑がとても綺麗に見える。渓谷を抜けて西遊記の景色の砂漠のような地形、そこから急に道を外れ、乾季に入り干しあがった川道のオフロードの近道を走る、本当に砂漠を行く西遊記である。何も無い砂漠の中であるが小さな部落が有った、我々の車が来るのを知って子供達が家から出てきて物欲しそうに見つめている。それを無視して更に1時間ほど走り本来の国道へ出る、そこから今日の宿泊の街ギャンッエへ到着、この街は標高3950mでありチベットで8番目である、街中心の前にギャンッエ城が聳え立つている、先ずホテルの確保(ツインで4500円)をして城へ向かう、
お城への道は急で高度を考えて私は途中で止め戻る、息子は上まで登りきってきた。夕食はホテルでする二人で68元(1000円)、アサヒビールがある試しに飲んでみるが飲めない(高度)値段は一本30元(450円)で中国ビールの10倍で日本並である。息子は必要以上にホテルの女性から声をかけられる、日本青年男子は人気がある。この街も日本語は全く通じなく英語とチベット語である、ガイドが明日サキヤまで走り、計画を一日早めると言い出した、6日間のチャーターの契約でありお金は戻るかと尋ねると、我々をザンムまで届ける契約の請負であるから戻さないと言い出す。話は物別れであるがこれからの進みぐあいで検討することとして明日、シガッエ、サキヤと行く事にする。
バスとトイレ付きで有るが機能しないバケツで水を流す。どうもこれがチベット流でありボットントイレが普通でありこれが最高の設備のようである。
  

Posted by 走るキンサク at 12:07Comments(0)走る金作チベツトを行く西遊記

2007年11月08日

高地順応、準備も順調?9/18報告

9/18今日も朝は寒い、息子が元気が無い、熱があるようである、矢張り昨日の祟りか、、紫外線を浴びすぎて日射病の様で熱がある、これは風邪と同じであり水分を充分にとり休む事であり医者用の感冒薬を持参してきたのでそれを飲ませ寝かせる、私は平熱で高度にも順応でき元気です。
・ 午後薬が効いてきたようで熱も下がり元気になる、しかし今日は明日からに備えて荷物の整理などと身体を休めよう。
・ 昼食を丼を一づつコンロに掛ける鍋焼きうどんののようなものを食べる何時もよりは暖かく美味しかった、そこに初めて会う日本人の中年夫婦が横に座り話をする、成都から西寧へ飛びそこから今年開通した青海鉄道でラサへ来たとのことであるがキツプを買うのに日本から一ヶ月以上前申し込み寝台で3日かけてやっと来れたとのこと、列車の外国人乗客は欧米人ばかりで日本人は数人であったとのこと。どうも我々日本は観光客としての対象ではないのではと感じる。(ビジネスとして英語圏と日本語圏の市場規模と休暇日数の違いだろう。)
・ 明日からはここよりもっと紫外線が強くなると考え、山高帽子を買いに行くヤクの革で出来た良いのがあったお土産も含めて3個まとめて買う、思い切り値切ったら笑われて相手にされない、こちらも断り他へ、矢張り追いかけてきた、もう少し上げてくれと下手に出てきた、、、矢張り断る、ついに諦めたようで成立、日本人かと問われる、日本のオジサンは甘く見られている。
流石のチベット商人も驚き!日本商人の品格を下げてしまったか、、、、
チベットの朝は時差の関係で暗い、本来は北京と2時間の遅れの時差があるのであるが、中国政府はそれを認めておらず、朝6時は8時である、チベットの人は熱心なチベット経信者であり朝仕事のマヘニ昨日の無事の感謝と経の安全を祈りお寺に毎日バターの粉を仏塔で燃やし祈る。その煙が街に漂い霞んで前が良く見えない、
  

Posted by 走るキンサク at 11:37Comments(0)走る金作チベツトを行く西遊記

2007年11月04日

11月 根雪前の駆け込み

●11/3 朝から晴天、しかし朝から名古屋から伊勢まで109キロの大学駅伝、先ずスタートと前半のTVを見て10時から学生の1㌔3分の走りを見て刺激を受け真駒内公園折り返し15㌔走り、家へ戻り後半を見る。気持ちは若者と同じイメージで走るが身体は高齢者でした。今月45㌔
●11/2 今日も朝から走ろうとしたら雲行きが怪しくなり雨雲の通過を待つ、10時過ぎ晴れ間が出そうで真駒内公園へ向かう、何時ものモイワ山の下の湧水を飲む、数人の人が車でポリタンクを幾つも持参して汲んでいる、中々の人気なんですね、確かに美味くこのコースの行き返りにご馳走になるお陰で水を持参して走らなくても良く、お金もかからない、天からの恵の水です、皆様も利用しては如何でしょう、市電の車庫の裏側の道路の民家の前にあります。帰りFさんから℡、釧路のKさんが世界一周ヨット航海の船をを買ったのでそのテスト航海に来年春に小笠原へ行く計画があるがとお誘い、K船長が乗せてくれるなら考えみよう。元々私は潜水、水泳、船などの海屋ですから体が騒ぐ!。今日15㌔
●11/1 先月高地でのダメージで走る気力が失われてましたので今月は走ろうと考え、夕方真駒内公園往復15㌔、
  

Posted by 走るキンサク at 15:39Comments(0)11月の走り