2005年08月06日
襟裳岬です。風もあるが晴天で暑い

遂に襟裳岬、何も無い岬でなく暑さがある。ここで漁師の親父に励まされる。
8/6襟裳庶野から襟裳岬周り本町へ30?、天気晴れ気温28℃
朝札幌5時にサポート車で桑原(エコニクス役員)、波多野(今月末の道マラソンの練習)、村上純子(8/21オロロントライアスロンの足慣らし)と4名で襟裳庶野へ出発、午前10前に「いさみ寿司」の荒木さん宅へ到着、庶野まで車で送ってもらう(岬の駐車場に車を置き)晴天で景色は最高であるが気温が高く照り返しが暑い。庶野を11時ごろ4名でスタート(桑原部長は岬まで走る)岬への道は車もほとんど無く静かで走り易い、遠くにレーダー基地が見えその先が襟裳岬である。この辺りは30数年前は緑も無く砂漠化していた、漁業者が大変な努力で植林し防風林として育て漁獲高が増加した有名なところである。しかしその防風林が今日は海風を遮り暑い、7?ほどでキャンプ場の入口となる百人浜の長い砂浜が続く、純子さんも優子さんもスタートと共に先を走り見えない、桑原部長と共に走るが9?地点から1人先を行く、岬が見えてきた、ここからは2キロほどの長いのぼりである15?地点の襟裳岬に到着、やはり岬で少し風が強くガスがあり涼しい、駐車場に置いてある車で給水し桑原部長を待つ、やや遅れて到着、ここからは本町の灯台公園30?ゴールまで1人走る。向かえ風で涼しいしかしアツプダウンの連続、優子、純子さんの二人はアップダウンが無いと練習にならないとこれを喜んでいた、しかし私にはきつい東洋の集落を越え少し行くと「ご苦労さん。パン食べていかないか」と叔母さんに励まされる、遠くに襟裳町の市外が霞んで見える、ずいぶん遠いな、、、、しかし実際には近くに見える物は遠く、遠くに見える物は近くであると言い聞かせながら暑さで疲れてきた身体を慰める。国道との交差点であと2.5?と桑原部長に励ましを受けゴールを目指す、先に着いた優子、純子さんの二人が今日の宿の前で手を振っている公園のゴールに到着、中学生の女子がアイスクリームをうまそうに食べている、一口食べさせてくれと手の平にもらい食べる、美味い!怪しそうにこちらを見て警戒しているので沿岸走を説明。
町長、荒木さん、菊地さん、大高さん宅を訪問し長年の御礼を述べる。
風呂に入り今夜は荒木さんの「いさみ寿司」で襟裳の海鮮料理で乾杯、襟裳は水産物が豊富であり素晴らしい料理がある、しかしあまり旅行者には知られていないようで岬へ素通りのようでもったい無いですよ、、、。
朝札幌5時にサポート車で桑原(エコニクス役員)、波多野(今月末の道マラソンの練習)、村上純子(8/21オロロントライアスロンの足慣らし)と4名で襟裳庶野へ出発、午前10前に「いさみ寿司」の荒木さん宅へ到着、庶野まで車で送ってもらう(岬の駐車場に車を置き)晴天で景色は最高であるが気温が高く照り返しが暑い。庶野を11時ごろ4名でスタート(桑原部長は岬まで走る)岬への道は車もほとんど無く静かで走り易い、遠くにレーダー基地が見えその先が襟裳岬である。この辺りは30数年前は緑も無く砂漠化していた、漁業者が大変な努力で植林し防風林として育て漁獲高が増加した有名なところである。しかしその防風林が今日は海風を遮り暑い、7?ほどでキャンプ場の入口となる百人浜の長い砂浜が続く、純子さんも優子さんもスタートと共に先を走り見えない、桑原部長と共に走るが9?地点から1人先を行く、岬が見えてきた、ここからは2キロほどの長いのぼりである15?地点の襟裳岬に到着、やはり岬で少し風が強くガスがあり涼しい、駐車場に置いてある車で給水し桑原部長を待つ、やや遅れて到着、ここからは本町の灯台公園30?ゴールまで1人走る。向かえ風で涼しいしかしアツプダウンの連続、優子、純子さんの二人はアップダウンが無いと練習にならないとこれを喜んでいた、しかし私にはきつい東洋の集落を越え少し行くと「ご苦労さん。パン食べていかないか」と叔母さんに励まされる、遠くに襟裳町の市外が霞んで見える、ずいぶん遠いな、、、、しかし実際には近くに見える物は遠く、遠くに見える物は近くであると言い聞かせながら暑さで疲れてきた身体を慰める。国道との交差点であと2.5?と桑原部長に励ましを受けゴールを目指す、先に着いた優子、純子さんの二人が今日の宿の前で手を振っている公園のゴールに到着、中学生の女子がアイスクリームをうまそうに食べている、一口食べさせてくれと手の平にもらい食べる、美味い!怪しそうにこちらを見て警戒しているので沿岸走を説明。
町長、荒木さん、菊地さん、大高さん宅を訪問し長年の御礼を述べる。
風呂に入り今夜は荒木さんの「いさみ寿司」で襟裳の海鮮料理で乾杯、襟裳は水産物が豊富であり素晴らしい料理がある、しかしあまり旅行者には知られていないようで岬へ素通りのようでもったい無いですよ、、、。
Posted by 走るキンサク at 13:13│Comments(0)
│2005年本道沿岸3000㌔走破まで後800㌔