2007年11月19日
チョモランマの入り口テンリーの村へ
●9/21 サキヤの朝何時ものように5時(チベット時間3時)過ぎ起床、脈拍60順調、しかしゆっくり朝の体操。人影は無く野犬がタムロしている、暗い朝7時(チベット時間5時)に町に音楽が流れる、同時にホイッスルを吹き鳴らしながら歩く人がいる、どうやら北京時間を告げている様である。8時になりようやくシャワーのお湯が出る何日ぶりかで浴びる。ホテルで朝食を済ませ代金を払いお釣りを待つ、ウエトレスがお金を持ったまま出て行く、戻ってこない、、、5分ぐらいして両替して戻ってきた、そこからお釣りを戻すシステムでレジにはつり銭は入れていないようである、どうも引き算は苦手のチベット式である。今日はここサキヤから登り5250mのラクバ峠を越えてチョロランマへの入口の村テンリーへ向かう、峠付近で放牧生活しているらしいチベットの若い女性に会う、衣服も顔も汚れ女を感じさせない、特にこの高度では尚更である。
遠くに世界の屋根チョモランマ、ロツエー、マカール、チョオー、シシヤパンマの8000m級のヒマラヤが連なって見える、これからその麓まで行くとどんな迫力で迫って来るかと思うと何かワクワクする、しかし5200mの高度では空気が薄く口に入ってこない感じがする、興奮しないようあまり動かずゆっくりと、、、眺める。
ここから一気に下り、荒涼とした茶色一面の原野の中のチョモランマ入口のテンリー村に昼過ぎ到着、昼食後ホテルを探し交渉しイン、この村にはチョロランマへの入場券と買う事務所がある、1人180元、車は300元、で旅行許可書を見せて買う。村は矢張り汚く、馬車と車、三輪車と単車である、ゴミは多く、川は捨て場となっており矢張り昔の日本と同じである。この田舎でもミネラル水は何処の店でも売っている、1.5L7元(息子が買うと5元)電池は高く単三アルカリ(中国製)8本で60元(900円)性能が悪く使い物にならない。村の人々は廃墟のような住宅に見える日干し煉瓦の家に住んでいる、みすぼらしく見えるが、しかし家の材料は地場資源を使う事がどの民族も原則でありこれが当たり前であろう。彼等から見たら日本の家は、4、50年の耐用年数で燃えるような木造はやはりみすぼらしく見あるのであろう、しかし私は泥の中で生活は合わない。ここに最近日本でも売られているコラーのような飲み物「赤い牛」のボトリング工場(水豊富)が建設されていた。山々からの水が豊富でこの村の近くには水力発電所が数箇所ある、村には電柱もあるが一般の家へはあまり電気が引かれていないようである。
夜、夕食後のミーテング、急にガイドが24日にザンムへ着くようにニャラムで宿泊すると言い出してきた。昨日会社へ旅行契約の確認をするようにと言っておいた事が効いたのか、これで安心、明日はいよいよチョロランマのBCへ
14年前の93年にネパール側のサガルマーター(ネパール語)BCへ10日間歩いて尋ねたその反対側の南西壁を崇めて来たが、、中国側の北西壁はどのようであるかと思うと寝付けない矢張り高度の影響からか、ここ数日思考力が落ちて日記を書くのが億劫である。
遠くに世界の屋根チョモランマ、ロツエー、マカール、チョオー、シシヤパンマの8000m級のヒマラヤが連なって見える、これからその麓まで行くとどんな迫力で迫って来るかと思うと何かワクワクする、しかし5200mの高度では空気が薄く口に入ってこない感じがする、興奮しないようあまり動かずゆっくりと、、、眺める。
ここから一気に下り、荒涼とした茶色一面の原野の中のチョモランマ入口のテンリー村に昼過ぎ到着、昼食後ホテルを探し交渉しイン、この村にはチョロランマへの入場券と買う事務所がある、1人180元、車は300元、で旅行許可書を見せて買う。村は矢張り汚く、馬車と車、三輪車と単車である、ゴミは多く、川は捨て場となっており矢張り昔の日本と同じである。この田舎でもミネラル水は何処の店でも売っている、1.5L7元(息子が買うと5元)電池は高く単三アルカリ(中国製)8本で60元(900円)性能が悪く使い物にならない。村の人々は廃墟のような住宅に見える日干し煉瓦の家に住んでいる、みすぼらしく見えるが、しかし家の材料は地場資源を使う事がどの民族も原則でありこれが当たり前であろう。彼等から見たら日本の家は、4、50年の耐用年数で燃えるような木造はやはりみすぼらしく見あるのであろう、しかし私は泥の中で生活は合わない。ここに最近日本でも売られているコラーのような飲み物「赤い牛」のボトリング工場(水豊富)が建設されていた。山々からの水が豊富でこの村の近くには水力発電所が数箇所ある、村には電柱もあるが一般の家へはあまり電気が引かれていないようである。
夜、夕食後のミーテング、急にガイドが24日にザンムへ着くようにニャラムで宿泊すると言い出してきた。昨日会社へ旅行契約の確認をするようにと言っておいた事が効いたのか、これで安心、明日はいよいよチョロランマのBCへ
14年前の93年にネパール側のサガルマーター(ネパール語)BCへ10日間歩いて尋ねたその反対側の南西壁を崇めて来たが、、中国側の北西壁はどのようであるかと思うと寝付けない矢張り高度の影響からか、ここ数日思考力が落ちて日記を書くのが億劫である。
西遊記無事帰国9/
9/27.28カトマンズ市内散策
ネパールカトマンズでの走り9/26
チベットザンムから国境を越えネパールへ
2540m高地ザンムを走る9/24
チョロランマの夜明けとヒマラヤ越え9/23
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Posted by 走るキンサク at 13:49│Comments(0)
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